2年間の育休生活はスタートしたものの……育児ノイローゼ寸前!?
4カ月健診へ。右手のシップは育児の勲章、腱鞘炎
「空いた時間に読書でもしたりー、昼ドラ見たりー」などと、本気でルンルンしていたのです。ところが、実際に始まってみるとビックリ仰天!
息子と遊び、おむつを換え、ミルクをあげ、泣けばあやし、散歩に出かけ、お風呂に入れて、料理をしてとするうちに……一日があっという間に過ぎていくのです。
寝る前に思い返してみても、今日一日何をしていたのかよくわかりません。「かと言って、ボーっとしていたわけではないんだよ」。そう言い訳をしようにも、昼間は息子と二人っきり。そんな言い訳を聞いてくれる人もいません。
帰宅した妻に、その日にあった出来事を怒涛のように伝える毎日が続きました。でも、妻から返ってくるのは「こうしたほうがいいんじゃない?」というアドバイスばかり。
そうじゃないんだよ。ほしいのは、「大変だったね」というひと言なんだよ……。
そんなわけで、最初の1ヶ月は大変すぎてほとんど記憶がありません。今思えば、育児ノイローゼ寸前だったと思います。
生後3ヶ月の息子の笑顔に胸きゅん
生後3カ月、泣いてばかりだった息子が、初めて笑った
笑った!
そう、あの泣いてばかりだった息子が、ニコっと笑ったのです。さんざん苦しかった末に見せられた笑顔。もう、胸きゅん以外の何ものでもありませんでした。この笑顔が、我が家に明るい光を運んできました。
「ツラいことがあっても、この子のためにがんばろう!」そう思えるようになったのです。
その後の育休生活も悲喜こもごもありましたが、おおむね順調に過ぎていきました。
妻の転勤で1年間の渡米!しかし……問題勃発
アメリカのスーパーにて
米国での主夫生活はとても充実していました。しかし数カ月後にまた問題が発生します。なんと妻の研究成果が認められ、任期が2年間延びてしまったのです。
辞める?それとも別居?究極の選択
空港で涙の別れ
私は前者を主張しました。日々の胸きゅんですっかり育児にのめり込んでいた私です。そのまま退職し、米国に残れば万事解決じゃないかと。
ところが、妻は反対しました。そもそも「2人とも仕事を辞めないためにとった育休じゃなかったのか?」。それに、男性でこれだけ長期の育児休暇をとった事例は珍しいのだから、そのまま会社を辞めてしまうと、次に育休を取りたい男性が取りにくくなるのでは?と。
それは困ると思いました。当時私は、こんなに素晴らしい育休体験をもっと多くの男性にしてもらいたいと思っていたのです。
結局、「やれるところまでやってみよう」と、私が単身で日本に戻り、復職することになりました。
2年間ずっと一緒だった息子との別れがどれほど悲しかったことか? 8年たった今でも、忘れることはありません。
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