嫌われたくない症候群の心理と原因は?
嫌われろ、と言うけれど、やっぱり嫌われるのが怖い人へ
でも、本当のことを言えば、私は「嫌われたくない」です。
できれば、誰からも嫌われたくない! それって「なんでかな?」と自分の心に聞いてみたら、「誰のことも嫌いになりたくない」という気持ちがあるからでした。私と同じ思いの人って、実は多いのではないかと思います。
私は、それでいいと思っています。
嫌われたくない人の特徴は「みんなに好かれたい、嫌われたくない」
子供が読むイソップ寓話。その教訓は正しい一方で、その気持ちはわかるという部分も。
コウモリの身体には毛が生えていて、動物(獣)みたいだけれど、鳥のような羽もついていますよね。お話の中では、鳥族と獣族が喧嘩をしています。コウモリは、鳥族が優勢になったら「自分には羽がついているので、鳥族の仲間です」と言い、獣族が優勢になったら「自分の身体は毛に被われている獣なので、獣族の仲間です」と言いました。争いが終わり、鳥族と獣族が和解をしたところ、コウモリが両方にいい顔をしていたことがバレてしまい、みんなに嫌われ、居場所をなくして暗い洞窟に住むようになってしまった、というお話でした。
この本では、「卑怯なことやどっちつかずの態度はいけないよ」「みんなにいい顔をする人は誰にも好かれないよ」という教訓を伝えているのですが、ちょっと見方を変えて見ると、コウモリの気持ちもわかるな……と思うのです。
つまり、両方に好かれたい気持ち、両方に嫌われたくない気持ちです。
「君の仲間だよ。あっちは敵だよ」と両方に言ってしまったのは確かにもったいないと思いますが、コウモリ自身としては、動物のことも嫌いにならなかったし、鳥のことも嫌いにならなかったのではないでしょうか?
「嫌われたくない症候群」を克服するには「一定の距離」を取ればいい
恋人や友人にも一定の距離を取るってどういうこと?
私は、誰のことも嫌いたくないし、嫌われたくもないからこそ、相手と一定の距離を置いて接しています。相手に嫌なところや悪いところがあってもわざわざ嫌いになろうとは思いません。だって、相手を嫌いになるのって、大きなエネルギーが要りませんか? 人を嫌いになるってけっこう疲れますよね。相手のいいと思うところはちゃんと好きになれば、それでいいと思いませんか?
恋人や友達との距離感も、「ちょうどいい距離」がいちばんいいと思うと、とても気が楽になります。彼氏や彼女だから、親友だから、なんでも全部話さなくちゃ! なんて思わなくてもいいのです。たとえば、職場で仲良しの相手には仕事の悩みを相談できる、でも恋愛の悩みはほかの人にする。この人とは趣味の話題を共有できる、でも仕事のことは話さない――そういうのって、絶対にあるはずです。映画の趣味が合う友達と、ショッピングの趣味が合う友達は、別々だっていいと思います。
仲がいいからといってすべてを共有する必要はないですし、「友達同士なんだから隠しごとはよくない」なんて思いません。そういう考え方を、私はやめました。
学生時代はとくに学校生活がすべてで、「親友ってすべてを許しあえる仲のことだよね」と思いこんだりするものですが、大人になってさまざまな顔ができてくると、より「そうとは限らない」のではないでしょうか?
男性の前での自分、女性の前での自分、仕事仲間の前での自分、主人の前での自分……いろいろな自分の顔をもって、全員にちょうどいい距離を取ってもいいんです。だから私は、「八方美人上等!」だと思っています。
それが一番楽しく気楽に人生を送れるポイントではないかと私は思います。
嫌いになりそうになったら、ただ「離れる」だけでいい
嫌われる勇気って、本当に必要ですか?
そういう時は、無理に一緒にいなくてもいい。別々の道を行ってもいい。離れてもいい。会わなくなって連絡を取らなくたっていい。「あなたを嫌いになりそうだから離れるね」なんて、言わなくてもいいんです。ただ何も言わず、ただ離れればいいんです。
もしかしたら、数十年後か、数年後か、数ヶ月後か、数日後かわからないけど、また距離が縮まって、仲良くなれることもあります。
そのときに、一度「嫌い!」と思ってしまった相手とは、ギクシャクしてしまいやすいもの。でも、「離れただけ」なら、また「仲良くなる」ことも簡単です。
このようにして、「嫌われたくない」「嫌いたくない」という自分に正直になってみて、「人を嫌いになるのをやめてみる」と、新しい人間関係の作り方が見えて来ますよ。
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