芸人が小説を書くとニュースになった時代も
又吉以前から芸人の書いた小説はいくつもありました。ただ、若い人が聞いたら驚くかもしれませんが、ひと昔前にはリリースのたびにニュースとして取り上げられ、お決まりのジョークとして「直木賞に挑戦!?」なんて見出しを付けられていたものでした。そんな「芸人小説家」の長いようで短いような(後述)歴史を振り返ってみたいと思います。
そもそも小説とは?
振り返るうえで、前もってしばりを設けました。ひとつは「フィクションに限定し、自伝、日記、実録の類は除く」こと。自伝小説、日記文学の名作もあるとはいえ、それを含めると芸人本の大半が小説に含まれてしまうので。もう一つは「代作者がかかわっているものは含めない」。なお、判断基準は作者側の自己申告です。こうした制約をかけた事で、残念ながらいくつかの有名作品がもれることになりました。例えば島田洋七「佐賀のがばいばあちゃん」(1987)、島田紳助「風よ、鈴鹿へ」(1988)。そしてビートたけしの全著作。というのも、たけし自身が一切文章を書いていない事を公言しているので。
小説の源流だった円朝落語
日本における近代小説の起源は明治中期。そのルーツとも言えるのが、明治を代表する落語家・三遊亭円朝(さんゆうてい えんちょう)が寄席で演じた「牡丹灯篭(ぼたんどうろう)」「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」などの速記録でした。こうした意味では、日本の近代小説は芸人の作品から生まれたとも言えます。それ以降も新作落語が雑誌掲載されたり、書籍化されることは頻繁に行われてきました。古くは柳家金語楼、柳家つばめ、比較的新しいところでは、桂三枝改め文枝の作品など。ただ、それを小説と呼べるかどうかは微妙なところですが。
ちなみに、最近では立川談四楼や神田茜(落語協会所属の講談師)など、本業に加えて小説家としても活躍している方々もいます。新作、古典の違いに、演じ手の工夫を加えて自分のものにしていく落語家は、もともと小説との相性が良いのかもしれません。
あまりにも意外な第1号
では落語家以外の芸人に絞って小説家第1号を調べていくと、明治から、大正、昭和と時代を辿っても中々該当する作品、人物がなかなか見当たらず、なんと昭和の末期、62年刊行の作品に行き着きました。しかも作者は現在もテレビで活躍中の人物で、2度ビックリです。その作品とは、1987年に刊行された「ビートたけし殺人事件」。作者はそのまんま東、現在の東国原英夫です。「ウソつけ! もっと前に誰か書いいてるはずだろ」と思われるかもしれません。何しろ、調べた当人がいちばん信じられなかったのですが、これ以前に上記の条件に当てはまる作品を見つけることができませんでした。
しかし、冷静に考えてみると、最近まで芸人が(自力で)小説を書いていなかった理由が何となく見えてきます。小説書くのって、普通に文章を書くよりもずっと時間を取られるし、神経も使うんですね。自分で言葉を駆使して相手を喜ばせるのは、芸人の仕事でもある訳ですから。まして本業で忙しくしていれば、よほどの事情かモチベーションがない限り、小説を書こうとしないはずです。
彼らはなぜ小説を書いたのか?
ではなぜ、そのまんま東は「ビートたけし殺人事件」を書いたのか? 実はこの当時、とある事件の影響で彼は芸能活動を自粛していました。エンターテインメントの仕事をしたいという思いと有り余る時間があいまって、彼に小説執筆を決心させたのでしょう。その後「芸人小説家」は断続的に登場します。90年には山田邦子の「あっかんベーゼ」、96年には元ABブラザーズの松野大介の「バスルーム」。爆笑問題として「日本原論」など多くの作品を刊行してきた太田光は、「マボロシの鳥」(2010)などの小説も精力的に執筆しています。多ジャンルでの活躍が目立つ品川庄司・品川祐とアンジャッシュ・渡部建も、当然のように小説を書いてるところが、なかなか味わい深いですね(笑)。
決して多いとは言えない「芸人小説家」たちの中で特に印象深いのが、2006年に「陰日向に咲く」で小説家デビューを果たした劇団ひとりです。刊行当時のインタビューでは「もともとネタ本を書く予定が、途中から内容が膨らんできた」と語っています。しかし、売れている芸人が小説を完成させることの困難さが分かってみると、この発言は怪しく思えてきます。おそらく、心のうちに物語創作への熱い思いを燃やしていたものの、笑いに生きる芸人としては素直に言い出せなかったのかも? 「青天の霹靂」に続く第3作、かなり時間はかかるでしょうが大いに期待しています。
ポスト又吉は意外にもあの人?
芸人が小説で感動させることに違和感がなくなってきた今、ポスト又吉を狙う芸人が出てくるのは、当然のことでしょう。文才のある芸人も少なくない中、個人的に最有力候補と睨んでいるのが、冒頭でふれたビートたけしです。ここまで何作も小説を発表してきているにもかかわらず、ここにきて「真剣に書いて直木賞を取ってやる」とイベント内でコメントし、話題になりました。もちろんマスコミ向けのリップサービスもあるでしょうが、又吉から大いに刺激を受けたからという見方も、それほど外れていない気がします。次回作こそは充分に時間と労力を費やして、自身で書き上げる心積もりがあるのなら、間違いなく「芸人小説家」を代表する存在となるでしょうね。