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脱東京5組が語る「私達が東京を離れた理由」

1970年代以降、何度か、東京から地方への人の流れが隆盛になった時期がある。今もまた、そうした流れが顕著だ。だが、今回の流れはこれまでとはいささか違う。何を求めて人は東京を離れているのか。5組に聞いた。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

東京を手放して無人島へ。村上健太さん(愛媛県松山市)

村上さん

カフェでの村上さん。平日は島で暮らし、休みには家に帰るという生活だという


2015年12月、フェイスブック上に「東京を手放そうと思う」というエントリーが上がった。それにかなりの数の人が反応した。東京(首都圏という意味。分かりやすいので以降、東京と表記する)に暮らし続けることを疑問に思っている人が少なからずいるということだろうか。発言した村上健太さんは何を思って、その発言をしたのだろう。2016年1月、年明け早々に話を聞いた。

転勤族に生まれ、日本、世界を転々と

村上さんが生まれたのは徳島県徳島市。父は転勤族で小学校だけで3回転校、4校に通ったほど。それでも村上さんが小学校4年生の時に父が愛媛県松山市に住宅を新築。しばらくは同じ小学校に通ったものの、中学校から高校へは地元の友人が行かない学校に進学、大学入学で東京へ。大学卒業後に勤めた会社では長野で研修を経て、熊本へ異動になり、そこで退社。その後は岐阜、長野に1年、東京でも新宿、川崎、市川、練馬とあちこちに住み、29歳からはワーキングホリデーでアイルランド、イギリスへ、帰国後は北海道、岡山……。聞いているだけで混乱しそうなほど、日本、世界を転々としてきた人であることが分かる。

だが、いずれも移住ではないと村上さん。「生活の拠点を移すのが移住だとしたら、自分の場合には移住ではない。自分はそもそも、生活をしておらず、いずれの土地も仮住まいという感覚。布団と着替えだけを持ってうろうろ、ずっと根無し草で来ました」。

通算13年の東京暮らしは「ラクだったから」

そのため、地域との付き合いはゼロ。東京で住む場所を選ぶ時には利便性を最優先した。といっても人間関係を作るのが嫌というのではなく、逆に何度も東京に戻ってきたのは魅力的な人がいるからだという。その東京での暮らしは通算13年。出たり入ったりしながらも3回目の東京で、その理由は東京には仕事があり、ラクだから。

「その前、2回目に東京に戻ってきた時には演劇をやりたいという目的がありました。25~26歳でその夢には見切りを付けたものの、少し前までは関連した仕事をしていました。でも、それが一段落。東京に住む理由がなくなりました。これまで東京は目的の場と割り切り、暮らすということをしてこなかったわけですが、目的が無くなったのなら、きちんと暮らしたい。3回目の東京では東京出身で東京でもちゃんと暮らしている人たちに出会い、自分とのギャップを感じもしました。自分もちゃんと暮らしていける場所を探そう、とりあえず食っていけるからという理由で東京にしがみつくのは嫌だなと思いました」。

「手放そうと思う」という言葉は、自分が暮らすべき場所は東京ではないと思いながらも、生活を変える面倒くささ、仕事がないかもしれないと思う不安などから東京にしがみついているのではないかという自戒から出たものなのだろう。

都会では生きる力がどんどんスポイルされる

島

渡船で数分もかからないとはいえ、島は島。時には自分以外誰もいないこともあるはず


では、どこが村上さんにとっての暮らしの場なのだろう。間違いなく都会ではない。

「東日本大震災の時に実感しましたが、都会は便利だけれど選択肢が少なく、不自由。ライフラインが止まっただけで生活ができなくなる。あの時、火を起こして、ご飯を炊いて、生活を続けようとしたのはおじいちゃん、おばあちゃんでした。どんな状況下でも生き残る力、都会の生活からはそうした力がどんどんスポイルされていくように感じています」。

都会での暮らしを否定するわけではないが、もっと生きているという手応えが欲しい。具体的な手応えは人それぞれだろうが、村上さんにとってのそれは定められたモノに乗って自動的に進むものではなく、自分の力を生かして得るものだという。これまで農業、林業なども経験しており、自分にとっての手応えは自給自足に近いモノかもしれないとは思っているとはいうものの、取材の時点ではそれがどこかはまだ分かっていなかった。

ところで、東京を手放す気持ちになったのには他にも理由がある。ひとつは年齢の問題。これまで飲食、コールセンターなどで働いており、まだまだ、そのジャンルで働き続けるには問題はないものの、長期的に見た場合はどうか。「現在35歳。いろいろな経験はしてきたものの、何ひとつ成し遂げていない、専門がない。この頃、そんなことを指摘されたり、意識することが増えました。だとしたら、これからはもう少し、根を下ろした生き方を模索してみようと思っています」。

もうひとつは他人との関係性の問題。自分自身を他人から影響を受けやすいと評する村上さんはこれまで他人と深く、長い関係を築いてきていない。だが、それで良いのか。特に地域に根を下ろそうとした時には媒介になってくれる存在も必要ではないか。やってみなくては分からないというものの、村上さんは東京を手放すことで、これまでの根無し草から脱しようとしているように思われる。

4月からは無人島にあるカフェの店長に

カフェ店内

現在の仕事場であるカフェ


取材から3カ月、日本全国のかつて働いた場所や友人知人たちを訪ね歩いた後、村上さんがとりあえず落ち着いたのは郷里愛媛県松山市の無人島、鹿島。そこにあるカフェの店長になったのである。無人島といっても市街地から船で3分というから、さほど遠い場所ではないが、これまでとはずいぶん違った環境であることは確か。地域に根を下ろすという作業が半年くらいで評価できるはずもなく、これからどうなるかはたぶん、本人にも分からないだろう。ただ、とりあえず、東京を手放したことだけは確かなようだ。

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