金子三勇士、幼少時から、リスト、音楽観、趣味を語る
日本とハンガリーのハーフで、リストの演奏などで高い評価を受けてきたピアニスト金子三勇士さん。日本デビュー5周年となる2016年、メジャーレーベルのユニバーサル・ミュージックに移籍しメジャーデビューを果たし、チャーミングさのある貴族的端正さと、クールな中に濃厚な情熱を秘めた演奏で「これは……イケメンなピアノだ!」と感動し、インタビューしたいと思ったところ、実現しました!9月にはなんとピアノ・ソナタ5曲を含むコンサートも開くと言う、スターの道を歩む三勇士さんに、ピアノを始めた子どもの頃の話から、ピアニストとしての思い、まさかの趣味まで、伺いました。
コダーイに遡る音楽教育に出会った子ども時代
ガイド大塚(以下、大):ピアニストになるに至った経緯を教えていただけますか? 家庭に音楽はありましたか?金子三勇士(以下、金):ありましたね。両親兄弟は音楽家ではないのですけれど、音楽好きの家族で、様々なCDをかけたり、趣味でちょっと演奏したりしていました。母がチェロで、父がギター。そして2人いる兄弟がピアノを習ったのですが、とても怖い先生だったそうで、共に非常に短いピアノ人生を終え、誰も使っていないアップライトピアノが残ったという。そういう環境に生まれました(笑)。
大:準備が整った感がありますね(笑)。
金:損なのか得なのか、ですけれどね(笑)。そして、ちょうど僕が生まれた頃、両親が共働きで忙しく、ハンガリーの母方の祖母が来日して子育てを手伝ってくれることになりました。その祖母というのが民族音楽の研究者であり、音楽教育者を育てる教育者で、それゆえ一緒に歌を歌ったり、音楽的なちょっとした遊びなどをしてくれたのです。
大:なんと、それは幸運な音楽キャリアのスタートですね!
金:そうですね。元々彼女自身が子どもの頃、ゾルタン・コダーイ(ハンガリーの作曲家)の考えにより作られた子どもの才能を見出すための音楽学校に通っていて、日常的に音楽に触れることが子どもにとってどれだけ楽しいかをたぶん身をもって知っていたのですよね。それゆえ子どもや孫にもそれを体験させたいという気持ちがとてもあったのだと思います。ですので強制的なことは全くなく、常に「楽しく歌でも1曲歌ってあげようかしら」といった感じで接してくれました。
大:あぁ、楽しみながら、というのはやはり重要ですよね。
金:ですね。そうして音楽に興味を持つ土台ができ、2、3歳からピアノを弾き始めました。ピアノの音が幼いながら好きで、最初は勿論楽譜も読めず、CDを耳コピーして真似して弾き始めました。うまくいかないところは祖母がサポートしてくれ、2人で楽しくずっとやっていたのですが、5歳の夏休みに家族で親戚を訪ねにハンガリーへ行くことになりました。その頃にはバルトークの曲集を弾けるようになっており、1時間くらいは弾けました。
大:え!? すごすぎです!
金:いや、遊びですよ(笑)。
大:遊びが高等すぎます(笑)。
金:(笑)。でも、本当に遊びだからこそだと思うんです。好きだから「じゃ、次、じゃ、次」みたいな感じで。それで祖父母もやはり親戚に自慢するわけですよ「この孫がすごいんじゃ」と。先んじてヴィデオに撮って送っていたので、僕がハンガリーへ行く頃には、親戚一同が僕のことを知っていて、相当有名になっていたという(笑)。
それで訪ねた先に元ピアノの先生の親戚がいて、フルコンのピアノ(フル・コンサート・ピアノ。コンサート用の大きなピアノ)が2台置いてあったのです。普段アップライトでしか弾いていない自分からしたら「これはすごい環境だ」ということで、食事にも興味を持たずにピアノを弾かせてもらっていたら、その親戚のおばちゃんも、元ピアノの先生の血が騒いで、料理もそっちのけでいろいろ見てくださり(笑)、「これはもう少し真剣に考えた方がいいのでは?」という家族会議に発展しました。
そこで「良い先生を紹介するから、とりあえず体験レッスンだけでもしてみたら?」と紹介されたのが、結局通うことになったバルトーク音楽小学校の先生なのです。この方がまたすばらしい、一言で言うとマリア様のような優しいおばあちゃまで、子どもながら「僕はここでピアノを習います」と細かいことを気にせず親に訴えました。親からは「一緒に行けないよ、行くなら一人になっちゃうよ?」と何度も確認されたのですが「行きます」と言い、結局6歳から親元を離れハンガリーで祖父母と暮らしながらピアノのレッスンに通うことになりました。親は「どうせ寂しくなってすぐに帰ってくるだろう」という気持ちで送り出したと思うのですけれど、私としては自分で決めたことなので「これはもう後戻りできないな……」という。変な頑固さですよね(笑)。
大:6歳なのに(笑)。大変だったことは何ですか?
金:大変なことばかりでしたけれど「自分は何人なのだろう?」というのが非常に難しかったですね。日本にいる時も「普通の日本人じゃない」という感覚がありましたし、ハンガリーに行っても半分外国人みたいな扱いをされました。学校ではいじめにあったりといろいろなことがあるのですけれど、アイデンティティー探しというのが非常に難しかったです。
あと、両親兄弟から離れて過ごしているので、何かあったときに頼れるのが祖父母しかいない。とはいえ祖父母も高齢なので、迷惑もかけられない。例えば反抗期になっても、親じゃないのでぶつかっていけなかったですね。
大:あぁ、隠れてタバコを吸うくらいしかできなかったと。
金:吸わないですよ(爆笑)。
大:(笑)非行には全く走らなかったですか?
金:はい、そういう環境でしたからセルフコントロールが非常に強かったですね。「祖父母に絶対に迷惑をかけてはいけない」というのが常にありました。
リストとの出会い
大:金子さんというとリスト弾きという印象もあるのですが、「リスト」と出会ったのはいつ頃ですか?金:ハンガリーに住んでいた後半の5年間、11~16歳の期間にリスト音楽院に入学させていただきました。そこで初めてリストという人物と出会いました。とはいえ「リスト音楽院に入ったら朝から晩までリストを弾くのだ」と思ってたのですが全然そんなことなくて、第一回目のレッスンでいきなりバッハの楽譜を渡されて「え?」と。「バッハ音楽院じゃないのに……」と思ったのですけれど、そのうちそれがなぜなのか分かるようになってきました。バロックの4声コラールをひたすら歌わされたり、ソルフェージュは和音の基礎的な勉強から入っていったりしていたのですが、リスト自身がそういった基礎を重んじる考え方を持っていた人だった、というのがだんだん分かるようになりました。
音楽以外の授業でもふいにリストの名前が出てくることがあるんですよ。例えば、歴史の授業で、ヨーロッパで大洪水があった時代に「リストもチャリティコンサートを開きました。貴族から集めた募金を自ら被災地に持っていって支援活動をしました」などと先生が言うのです。「え、ちょっと待って! リストってそんなこともしてたの?」と。自分が今まで音楽辞典で読んでいたフランツ・リストとは全然違う顔がたまに出てくるので、その度に図書館へ行って調べるわけですよ。そういった事柄から見えてくるリストというのがいて、改めて彼の楽譜を読むと見方も変わってくるのです。作曲家としても様々な変遷を経ていて、若い頃の作品から、文学、哲学に興味を持ち旅を始めて作風が変わり、晩年には宗教学に入り込みスピリチュアルな作品の数々を生み出すという感じで、本当に様々なことに挑戦してきた人物。非常に尊敬できる人だと今でも思っています。
大:やはり三勇士さんにとって特別な作曲家なのですか?
金:そうですね。彼はよく理解されていないと思います。実際はドイツ系で、どれくらいハンガリー人だったのかというのは常に話題になることです。また超絶技巧がどうのとか、彼は大スターで最前列の女性が失神するほどだったとか様々に言われますが、そうした演奏家としてちやほやされていた時代というのは、20代前半のたった2年半のことなんです。そこから一回引き下がって作曲中心に様々な活動をし大挫折を何回もしていたときに伯爵夫人に出会い駆け落ちする。それも時代をいろいろ勉強していきますと、当時はそういったご婦人方との交流ができないと話にならない。社交辞令と言いますか、当たり前だったのです。
そんな中で駆け落ちしたり、一緒に旅に出たり、ということを見ていきますと、彼はひたすら孤独だったんだなというのが私の個人的な見方です。常に自分の心の癒しを探し、宗教学にも哲学にも行ったけれど結果的に何も見つからず、結局辿り着いたのが「孤独」という。そして孤独だからこそ、社会のためにできる限りのことをする。それはとても共感できるというか、自分が大変な環境に置かれているときこそ人の手助けをしたいというのは、レベルは全然違うにしても自分自身がハンガリーで育ったときを振り返ると、ちょっと分かる気がします。
ですので、僕としてはお客様にリストの全部を知ってほしく、将来的にはもっと様々な作品をご紹介していきたいと思うのですけれど、晩年の作品となるとなかなか渋いのですよ(笑)。それでメジャーデビューするとCDが3枚くらいしか売れないかもしれない。そういうわけにもいかないので(笑)。
メジャーデビューと5周年記念コンサートにかける思い
■メジャーデビューアルバム:「ラ・カンパネラ~革命のピアニズム」 1. きらきら星変奏曲 ハ長調 K.2652. 革命のエチュード(練習曲 ハ短調 作品10-12)
3. 即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66 ≪幻想即興曲≫
4. ピアノ・ソナタ 第14番 作品27-2 ≪月光≫ 嬰ハ短調
5. 月の光(ベルガマスク組曲 第3曲)
6. ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調 S.244-2
7. 愛の夢 第3番 S.541
8. ラ・カンパネラ
■日本デビュー5周年記念リサイタル
<日本デビュー5周年記念> 5大ソナタに挑む!
金子三勇士 ピアノ・リサイタル
日時:2016年9月18日(日) 15:00~
場所:東京オペラシティ コンサートホール
曲目:
<第1部>
モーツァルト:きらきら星変奏曲 K.265
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番イ長調 「トルコ行進曲」 K.311
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 「月光」Op.27-2
<第2部>
スカルラッティ:ソナタ ト長調 K.146
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66
ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 「葬送」 Op.35
バルトーク:ピアノ・ソナタ BB 88
<第3部>
リスト:ラ・カンパネラ
リスト:愛の夢
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
大:(笑)。で、そう、今回メジャーレーベルからCDデビューとなり、合わせて秋にはコンサートも行われますね。プログラムは後期激渋リストをやらないのは分かったのですが(笑)、何を弾くのですか?
金:今年2016年は私にとって日本デビュー5周年という節目の年です。30年や50年ではなく全然小さいのですけれど、自分なりに節目の年として考えたいと思っていたところ、ユニバーサルミュージックさんからCDを出させていただけることになりました。それで今年のコンセプトをプログラミング含め考えたのですが「一人でも多くの方にクラシック音楽やピアノの世界をもっともっと知ってほしい、特に同年代以下の若い人たちにもっと身近なものと感じてほしい」というのがありました。
それでアルバムもコンサートもフレンドリーなものにしたいと思い、あえて小品の名曲を中心に選びました。とはいえ小品だけですとやはり今まで正統派のピアニストとしてやって来たところから少し離れてしまうのでモーツァルトとベートーヴェンという古典派をしっかり2曲入れました。ただ、これだけ有名な作品を並べますと解釈をどうするかというところがポイントになるので、どんなに長年にわたり演奏家と聴衆に愛され育てられた作品であっても、その伝統的な解釈を1度忘れ、作曲家が元々書いた姿、残っている楽譜、そこに込められた思い、そうした原点に向き合って今の時代の中で自分なりに解釈したものをアルバムに残し、また演奏会でお届けできたら良いなと思いました。
大:作曲年代も広くヴァラエティに富んでいますね。
金:リストが「様々な時代の様々な曲を演奏しましょう、好き嫌い言わずにとりあえずやりましょう」という考え方を持った人だったそうで、バッハなどの古い作曲家から、モーツァルト、ベートーヴェン、そして当時の現代音楽であるショパンまでを常に弟子たちに弾かせていたと言われています。その考え方はリスト音楽院に今も受け継がれ僕自身もそういう環境で育っていますので、9月のリサイタルも、バロックから近現代まで紹介していきます。
改めて名刺代わりの公演であり、もう一回原点に戻って作品と向き合い、ありのままの自分とも向き合い、今の時代とも向き合い、という感じですね。
大:「5大ソナタに挑む」という副題もついていますが。
金:笑われるかもしれないですが、デビュー5周年なので“5”という数字を強めに意識しまして(笑)。
大:あ、そういう(笑)。じゃ、来年は6大ソナタですね(笑)。
金:次は10年までお待ちください(笑)。で、まぁ、そうなのですよ。柱になるものが欲しかったので、ピアノ・ソナタを5つ並べたのですが、割と時代を網羅できます。同じピアノ・ソナタというジャンルでも時代と作曲家が違うとこうも違うのかというのを体験していただきたいと思います。ただ、ソナタだけですと消化不良を起こす方もいらっしゃるかもしれないので、それ以外の作品も間に入れつつ、自分のトークも入れ、いろいろと説明もします。
ですので、楽しんで学んでいただけ、真剣に聴いていただく部分と、リラックスして聴いていただく部分など、多様な面のあるアフタヌーンになるといいなと思っています。気軽にフラッと来て聴いていただいてもよいですし、休憩のときにお散歩へ行かれてもよいですし、ワンドリンクでリフレッシュされたり、隣の方とお話しされて、また聴きに入ったりと、自由に楽しんでいただけたら嬉しいです。
大:確かに、プログラム全体を見ると、5大ソナタと聞いて感じがちな「わ、重そう、飽きそう……」という世界とは違うな、と思いました。
金:そうなのですよ。ベートーヴェンのソナタが5つだとちょっと大変だと思いますけれど(笑)。弾く方もこれだけヴァリエーションがあり、また好きな作品ですと逆に楽しいですね。「大変じゃないですか?」とも言われるのですけれど、日頃から練習している時間や曲数と比べますと特別なことではないので、好きな作品ばかりに向き合えるというのは非常に幸せで、今からワクワクしています。
大:楽しみですね! 同世代のお客さんにもたくさん来てほしいですね。
金:本当にそう思います。若い人がクラシックに興味を持ってくださるようにと、実は通常の演奏活動だけでなくアウトリーチ活動もやらせていただいております。小学校や中学校で子供たちに生で演奏を聴いていただいたりすると、興味を持たない子っていないのですよ。クラシックに興味を持ってもらうには、やはり周りにも責任があり、環境づくりが大事と思っています。
大:おばあさんから受け継いだコダーイに始まる音楽教育の伝統とも言えそうですね。
金:そうですね。正にコダーイの頃のハンガリーというのは、もしかすると今の日本に似ていたかもしれないですね。文化をあんまり大切にしない流れがあったからこそ、コダーイやバルトークはこれじゃダメだと思ったのかもしれないですね。
大:ハンガリーの神髄がここ東京に。
金:(笑)。
東京に住む熱い思いと、意外な趣味
大:で、そう、今は東京に戻って住んでいるそうですね。どうして日本なのですか?金:とても好きなのです。この時間が速く流れる世界の大都市・東京に常にいる方が活発になれるのではないかという気がしますし、あと、日本やアジアを拠点にプロとして活動し、逆輸入的にヨーロッパやアメリカに出ていくというケースがまだまだ少ない気がするので、挑戦しても面白いかなと思いました。
未だに東洋人のアーティストは何となく下に見られる感じがやはりありますが「そんなことないですよ」と言えるタイミングを今から楽しみにしています。日本、アジアでしっかり土台を作ったうえで「いざ海外でも勝負」というのがこれからの目標の一つです。
大:それはよいですね。今後ご自身はどのようなピアニストに?
金:基本的には幅広く、すべての時代のいろいろなものを演奏していきたいと思います。ですが、10年・20年先に「この人はどんなピアニスト?」と語られる場合は、やはり「世界のリスト弾きの5本の指に入る人」など、どうしてもリストやハンガリーというのは突き放せないと思うのです。ですので、そこはしっかりと受け入れ、リストは自分の中でメインになってくると思います。ただ、リストを弾くには同時に他も知らないといけないということですね。
大:気晴らしや趣味って何です?
金:結構料理が好きだったり、日本の文化をもっと知ろうと思い、生け花をやっていまして、音楽と共通する部分が感じられたり、面白いですね。それから旅が好きなのですが、おかげさまで旅をする職業なので、観光まではなかなかできませんが、いろいろなところで地元のおいしいものをいただいたり、人々と交流し、景色を見たり空気を吸うだけでもだいぶエネルギーチャージになりますね。
あと意外かもしれないですけれど、お笑いがとても好きです。ドリフターズから始まって、最近のものまで結構いろいろと見ています。お笑いもクラシックもお客様を楽しませるという意味で共通するものを感じる瞬間がありますし、私は演奏会で必ずトークもやっていますが、間の取り方などはお笑いを見ていて参考になることがあり、そういう目で見ていたりもします。
大:ドリフまでとは驚きました。今度ライブで「みゆじ、後ろ!」とか言っちゃったらごめんなさい(笑)。
金:(笑)。特に舞台を生中継していた『8時だョ!全員集合』の映像を見ますと、当然ハプニングもアドリブもある中で、どういう風に乗り越えていくのか、というのが非常に興味深いのです。
大:なるほど~、いやぁ、みゆじさん、コンサートホールで金だらいを落としたら、音が響いちゃいますよ! (笑)
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ということで、まだ若いながらも、冷静に自身や世の中を分析し、フレンドリーに自分の音楽を伝えていく三勇士さん。2016年は新たな出発となる年だけに、ますます楽しみですね。