銀座郵便局昭和基地内分室とは?
前回の記事では奥の細道シリーズについて取り上げましたが、今回は南極の郵便局についてです。ちょっと驚かれるかもしれませんが、株式会社日本郵便の銀座郵便局には、なんと!南極の昭和基地内に分室があるのです。分室とは、一言でいえば、郵便局長のいない郵便局の施設のこと。昭和基地内分室の場合は銀座郵便局の局長が管轄しているのです。もっとも日本郵便が専任の職員を派遣するわけではなく、南極観測隊の隊員が夏と冬に1名ずつ日本郵便から辞令を受けて、郵便業務を行っています。
南極の日本郵便局の始まりとは?
日本の南極観測のきっかけは昭和30(1955)年の朝日新聞の連載「北極・南極」という矢田喜美雄記者の記事でした。矢田記者は取材の中で昭和32(1957)年に国際的な南極観測プロジェクトが始まるのを知り、新聞社として南極観測隊を送り込む壮大な計画を思いついたのです。ほどなく永田武(東京大学・のちに南極観測隊初代隊長)らのグループと連携し、南極観測計画は国家事業へと発展しました。かくして昭和31(1956)年11月、第1次南極観測隊を乗せて出航した南極観測船「宗谷」には、記念の消印を求める手紙が約16万通も寄せられ、「宗谷プリンス・ハラルド」表記の消印が船内で押印されました。「プリンス・ハラルド」とは当初観測地として予定されていた海岸です。実際にそこまではたどりつけなかったものの、東オングル島に昭和基地を設営し、11名の越冬隊を成立させる快挙を遂げました。
昭和33(1958)年1-3月の時には宗谷船内郵便局が正式に開局しました。さらに翌昭和34(1959)年1月には基地内にも宗谷船内郵便局昭和基地分室が設置され、昭和37(1962)年4月に日本の南極観測が一時停止するまで期間限定での業務を続けました。
南極ならではの郵便事情も
昭和基地内の郵便局が(形式上)常設されたのは、昭和40(1965)年2月のことでした。同年から中断していた南極地域観測が再開されています。また、郵便事業会社銀座支店の分室になったのは、郵政民営化が実施された平成19(2007)年10月1日でした。さらに平成24(2012)年10月1日には現在の銀座郵便局昭和基地内分室となりました。現在、南極の昭和基地には郵便番号は振られていません。ただ小型の郵便ポストが設置されていて、最も南にある日本の郵便ポストということになります。郵便料金は日本国内と同額で、年間約1,000通の郵便物が差し出されるそうです。もっとも差し出した郵便物が日本に届くのは、南極観測船「しらせ」(2代目)が往復する年に1度だけです。
昭和基地の消印が欲しいときは?
「ぜひ!昭和基地から手紙を出したい」ということであれば、国立極地研究所が毎年11月頃に翌年の南極観測隊を一般公募で受け付けています。機械・通信・調理・医療などの資格を満たしていて、心身ともに健康であれば、南極観測に参加できるチャンスがあるかもしれません。「昭和基地の消印が欲しい!」ということであれば、消印をオーダーすることが可能です。毎年10月中旬から期間限定で昭和基地内分室の消印を記念押しすることができるので、日本郵便東京支社のウェブサイトや各郵趣誌などの告知をチェックしてみてください。用意した切手やはがきに、南極観測船「しらせ」(2代目)が昭和基地に接岸した日付の消印を押してもらえます。
浅草で南極の郵便を感じてみよう!?
もう1つ南極の郵便関連でいえば、平成28(2016)年4月29日(祝)~5月1日(日)に浅草(東京都立産業貿易センター台東館)で開催される切手イベント<スタンプショウ2016>です。ここでは「南極観測60周年記念切手展」が併催され、南極関連の切手・郵便物などが展示されます。実際に南極観測隊の装備にも触れられる貴重な機会ですので、ぜひゴールデンウィークには浅草にお出かけを!今回はここまで珍しい南極の郵便局についてお送りしましたが、次回の記事では、日本の新切手の話題についてお伝えしていきたいと思います。