親が要介護状態になった場合はどうする?

固定観念を外す考え方

固定観念を外す考え方

個々人の価値観は別として、投資か消費かという経済軸で考えると、もし自分の親が要介護状態になった場合、介護施設に入ってもらうことは投資といえます。なぜなら、その出費に見合ったリターンが見込める可能性が高いからです。

介護施設に入れることをよしとしない人は、「自分の親の面倒は家族が見るべき」「親をそんなところに放り込むなんて無責任」「感謝の気持ちもないのか」「邪魔者扱いするのか」という道徳観があるようです。

しかし、要介護のレベルにもよりますが、自宅で家族が介護をするのは、想像以上に大変です。

自分が介護をするなら、会社を辞めるか、自宅でできる仕事に切り替える必要があるでしょう。しかしそれで充分な収入を得ることは容易ではありません。多くの人にとっては、収入は下がるのではないでしょうか。

そのうえで、自分の自由にはならない状況に置かれます。徘徊で行方不明になる人も少なくないため、神経を使います。自分の家族の顔すらわからなくなり、「あんた誰?」などと言われると、やるせない気持ちになることもあるでしょう。

介護の努力が報われない徒労感、自分のやりたいことが制限されるイライラ感、そしてそんな日々が何年続くかわからない不安感。自分のキャリアや人生がどうなるかといった焦燥感に襲われ、介護をする側の精神が病んでいくケースもあります。それが解消されなければ、親を虐待したり、最悪の場合殺してしまうような事件も起こる……。

しかし、介護施設であれば、専門のスタッフが24時間体制で見てくれ、緊急時の医療体制も整っています。要介護状態が軽い場合は、親としても下の世話を身内にしてもらうより、赤の他人に「仕事」としてやってもらうほうが気楽だ、という人もいます。

自分は働いてその分のお金を稼げば、仕事のキャリアも継続できる。自分の人生を楽しみつつ、親のサポートができるのです。夜や週末だけなど短時間に限定して自分が世話をするなら、親に「あんた誰?」と言われても、精神的にもゆとりがあるから許せるというものです。

感情による判断から理性による判断へ

それを指して「かわいそう」と言う人もいますが、かわいそうかどうかなんて、他人の勝手な感じ方に過ぎません。たとえば赤ちゃんが泣いているのを見て「かわいそう」という人は多いですが、泣くことには呼吸器系の発達を促したり、体温を上昇させて代謝を促進させたりする役割もあります。赤ちゃんが「泣いたらすぐ世話をしてもらえる」と学習し、泣きぐせがついてしまうかもしれません。

つまり自分はかわいそうと思っても、それで「泣かないようにする」ことが、本当に赤ちゃんのためになるとは限らない。それと同じく、自分や他人が「かわいそう」と思っても、実は本人はそう思っていないかもしれない。

たとえば、老人ホームで同年代の話し相手ができて楽しいとか、施設の食事がおいしいとか、家事をしなくていいのでラクだ、とか。映画が見られたり、大勢でゲームができて退屈しない、という意見だってあるかもしれない。自分の勝手な道徳心で判断すると、価値観の押しつけになってしまうこともあります。

固定観念を外せば見えてくる

私の知人で、年商10億円の通販会社を経営している女性起業家がいますが、彼女は介護士を雇って親の介護をしていました。彼女は「日本人は根拠のない道徳心に縛られ、家族が親の介護をしないといけないと考える。しかし、それがいろんな悲劇を生む。

介護はとても大変だし、されている親も気を遣う。だから要所要所で専門家をうまく使うことで、みんながハッピーになれる。日本人はプロをもっとうまく活用すべきだ」と言います。

そう、「みんながハッピーになる」ことを目的にすれば、人からどう思われるか、伝統的な道徳観念がどうかや、常識的かどうかというものをいったん横に置いてみる。そうやって心の縛りを外すと、もっと望ましい解決方法が出てくるかもしれない。

もちろん、「かわいそう」といった感情を持ち込むのが悪いとか間違いということではなく、「理性」もしっかりと持って判断しようとする意識を持ちましょうということです。それが、より投資的な(つまりリターンにつながる)出費にするための姿勢ではないでしょうか。
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