セックスで愛情や自分の魅力をはかっていない?
「体を求められる=愛」だと思っていない?
でも何度も言いますが、セックスの行為そのものは、愛とは違います。
さらに、相手に魅力があっても欲望が湧かないことだってあります。
また、セックスに対する考え方にもとらわれ過ぎているところはあるかもしれません。セックスをしていない自分は人としての価値が下がるような気持ちでいる人もいます。
ただ、実際は、セックスをしていなくても、魅力的でモテモテな人だっていますしね。つまり、そこにあるのは、「人の魅力を測るための表面的なものさし」と「自分の魅力に対するコンプレックス」であるとも言えるでしょう。
また、性欲を欲望に言い換えると、「自分の欲望を相手に受け止められようとする」というのは、よくよく考えると、ちょっとおかしな話でもあります。
もし自立した大人であれば、自分の欲望は人に頼らず、自分でも解消できるくらいであってもいいのでは?とも言えるからです。
それが性欲となると、「パートナーだから、自分の性欲を受け止めてくれて当たり前」となるのはちょっと不思議な話です。
もちろん、だからと言って、外で浮気をすることを推奨しているわけではありません。もしかしたら生身の人間相手ではないと性欲がおさまらない、というのもまた、自分の思い込みなこともあるでしょうしね。
つまり、セックスレスそのものが問題というよりも、セックスを誤解していたり、自分の性欲を自分でコントロールできなかったりすること……つまり、「愛に対する理解」と「自分の魅力に対するコンプレックス」、さらに「自立心」の問題でもあると言えるのです。
愛の誤解について、もう1つ言うと、若い頃ほど、性欲を愛情だと誤解しがちです。ある意味、「恋に恋している」のと同様、「セックスが好き=相手のことが好き」と勘違いしてしまうこともあるのです。
さらに、相手に対して、「自分に快楽を与えてくれるから好き」というのは、「自分にとって役立つから好き」「自分にとってメリットがあるから大切」と同じようなことで、そこにあるのは本当の愛情ではなく、自己愛に近いです。
だから、体に飽きたら別れることを繰り返してしまう人も少なくありません。
結婚においても、男性は「今後、セックスの心配をする必要がない」と思い、女性は「経済的な心配をしなくていいわ」と思いながら結婚する人は意外といます。ただ、そんな自分のメリットがあるから一緒になりたいだけであれば、それがなくなったときは別れたくなるものでしょう。そこには愛はありません。
そういう人は、幸せになるためにも、もっと本当の愛を理解するようになった方がいいでしょう。
では、そもそも、どうして「セックス=愛」だと誤解されやすいのでしょうか。それを最後に紹介します。