2015年注目を集めた
カフェブームに沸く清澄白河
ブルーボトルコーヒー以前にも清澄白河には面白い空間が生まれていた。写真は2012年9月に取壊し寸前だった風呂なしアパートを再生して生まれたfukadaso。カフェの他、個性的なショップが入っている(クリックで拡大)
でも、どうして、今、清澄白河なのでしょう。その説明のためには江戸時代にまで遡る必要があります。ちなみに清澄白河という駅名自体は2000年に都営大江戸線、2003年に東京メトロ半蔵門線の駅が開業するにあたり、近隣の清澄と白河という2つの地名を合体させてできたもの。至って新しい駅名です。
江戸時代の街作りが
今の風景に繋がっている
さて、徳川家康入府以前の清澄白河周辺は陸化しつつある低湿地が広がるエリア。江戸幕府はそこに江戸中心部と当時関東最大の塩田のあった行徳(現在の浦安市行徳)を繋ぐための河川を掘削します。小名木川、新川(江戸時代には船堀川、行徳川などの名称も)です。その後もこのエリアには複数の掘割が掘削され、水運が主体だった当時の物流拠点として街は発展を遂げます。今もこのエリアには複数の水辺が残されているのはそのため。今の清澄白河の水のある風景は江戸時代にすでに作られていたのです。
明治以降も清澄白河は物流の拠点、倉庫街として機能し続けます。隅田川を始めとする、川沿いには企業の倉庫が多く残されているのはその証左です。ただ、残念ながらこのエリアは関東大震災、東京大空襲で大きな打撃を受けており、かつての繁栄を偲ばせるような風物はほとんど残されていません。下町とは言われるものの、路地のある、らしい街並みをイメージすると期待を裏切られることになるかもしれません。
倉庫の広さ、天井の高さをを生かして
ギャラリー、コーヒーの焙煎所に
ここでポイントとなるのはかつてここが倉庫街であったという点です。倉庫はモノをしまうための空間ですから、収納量を増やすため、柱が少なく、天井が高いのが一般的。その空間を生かすと考えると、ギャラリーが登場するのは自然な流れでしょう。清澄白河には1995年に東京都現代美術館がオープンしており、それが現代美術を中心にギャラリーが増えたきっかけと言われますが、そのための素地として倉庫があったと考えると、歴史が現代に生きていることが実感できます。
そして、現在、カフェがこの街に増えているのにも倉庫は関係しています。今も行列が絶えないブルーボトルコーヒーは倉庫だった建物をリノベーションしたものですし、ニュージランドに本社があるオールプレス・エスプレッソ 東京ロースタリー&カフェの建物もかつて木材倉庫だったもの。それ以外にも倉庫リノベで生まれている店舗、施設は数多くあります。これは現在、清澄白河に増えているコーヒー豆の素材、産地や安全性などにこだわり、焙煎後一杯ずつ丁寧に淹れる、サードウェーブコーヒーと呼ばれる店の特徴を考えると頷ける話。コーヒー豆の焙煎には煙や匂いが出るため、ギャラリー同様、天井が高くて広い場所が適しているのです。
また、流通が水運から鉄道、次いで車に変わったことで空き倉庫が少なからず点在していた点もカフェ急増に寄与しています。もうひとつ、手近にあるところで一杯ではなく、わざわざ出かけて行って味わうという消費行動の変化もこの地でのカフェブームを成立させている要因と思われます。
水と緑、空が抜けた街並みも
人を惹きつける
ただ、倉庫があっただけで成功しているわけではありません。20年以上前からこの地に本社を置くファッションブランド「ヨーガンレール」は緑や水辺の存在を、ブルーボトルコーヒーの創業者は工場や倉庫もあるものの、住宅や緑があり、高い建物が少なく、空が抜けている点を魅力として挙げており、街全体の佇まいもポイント。実際、清洲橋通りなどの通り沿いには2000年以降に増加したタワーマンションがあるものの、少し入ると低層の建物が中心。静かな住宅街です。
もうひとつ、個人的に元々この街には古いものを大事に使う伝統があったのではないかとも思っています。たとえば清澄庭園脇は関東大震災からの復興事業として昭和3年に建てられた店舗付き住宅が約250mに渡って残されており、そのうちのいくつは今風のリノベーションされ、カフェなどとして使われています。
人気が出ると
家賃がアップするという危険も
ひとつ、気になるのは街の人気が高くなると、それに伴って住宅価格、賃料が上がり、街の魅力が損なわれるのではないかということ。たとえば、1990年代から人気が出始め、最近では東京の主要観光地と言えるほどにまで賑わうようになった谷根千では店舗物件を中心に家賃が上がり、昔のように若い人が自力で店を出すのが難しくなりつつあります。あるいは30年前には山手線沿線の穴場と言われ、安い風呂無しアパートが多く点在していた恵比寿の今を考えると、人気は良い影響もある反面、マイナスも生むことが分かります。資金力のあるチェーン店しか出店できない街では、個人店中心の街の面白さ、意外性は薄れていきますし、住みたくても住めないということも多々起こります。
こうした現象を都市地理や都市計画などの分野ではジェントリフィケーション(gentrification)と呼びます。非常に簡単に言うと、比較的住宅価格、賃料が手頃だった地域が再開発や文化的活動などによって活性化、それによって従前よりも所得の高い人が居住するようになることで住宅価格、賃料が高騰するというもので、代表的とされるのはニューヨークのSOHO地区。
1950年代には工場や倉庫の廃屋ばかりが並ぶ荒廃した街だったSOHOには安価な住居を求めてアーティストやミュージシャンが移り住み、その結果、1970年代にはカウンターカルチャーの聖地とまで言われるようになります。しかし、そこに憧れて移り住む富裕層が増えたことから、1980年代以降は高級レストラン、ブティックなどが集まり、現在のSOHOは高いお金を出せなければ住めない、店を出せない地区になっています。
ニューヨークの場合には、市がこうした高級化で住めなくなる住民を増やさないようにと1982年に家賃抑制を意図した「1982年ロフト法」を制定していますが、日本の場合にはそうした歯止めはどこにもありません。それどころか、少し人気が出ると、そこに従前からすると法外なほどの値付けの分譲物件が出るなど、より高く、高く誘導される例が枚挙に暇ないほど。これまでそれほどの人気がなかったために残されてきたであろう、ゆったりした緑のある街並み、雰囲気のある建物などが消えていかないよう、人気がマイナス方向に行かないよう、この街を見守っていきたいものです。