ナチスドイツに愛された鬼才ワーグナーの唯一の喜劇
ワーグナー唯一の喜劇が、ナチスドイツに寵愛された作品
少しわかりずらいのですが、それでも、多くの評論家がこの作品をワグナーの喜劇として位置づけています。
中世ドイツの職人兼芸術家、「親方歌手」
物語は、16世紀中ごろのニュルンベルクを舞台に語られます。ニュルンベルクは、ヨーロッパのルネッサンスの中心地の一つであり、中流階級の職人達が参加する、アマチュア詩人と音楽家の文化サークルを巡って展開します。職人たちの手仕事の感覚が、音楽と歌に息づいています。ワーグナーは、実在していた マイスタージンガー(親方歌手)のグループに題材を得ています。彼らは、当時、観客の前で公演を行っていました。作品の主人公、靴職人であり詩人であるハンス・ザック (1494-1576) も実在の人物で、歴史上もっとも有名な歌のマイスターの一人となっています。
ワグナーのドイツ精神とナチス
喜劇的要素と、『パルジファル』や『ローエングリン』など、他の作品にみられる魔法や超自然的なものが欠けているため、このオペラはワグナー作品の中でも異彩を放っています。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』には、中世ドイツの貴族社会とバッハの音楽への愛着と懐古が感じられます。ワグナーがプライドをもって表現したかったドイツ精神が漂う作品ですが、この半世紀後には、ワグナーが大事にしたドイツ精神は、ナチスドイツによって人種の優劣に置き換えられてしまいました。そのため、ナチスの式典や思想を喧伝するための会議では、この作品の冒頭の部分が繰り返し使わました。ヒットラーは、ニュルンベルクをナチス政権の「宝石」と位置づけ、ドイツの中でも最もドイツらしい都市と賞賛し、1933年以降毎年党大会を同都市で開催しました。
後年、第二次世界大戦の戦犯として罪に問われたナチス幹部が裁かれた都市でもあることは、大変興味深いエピソードです。 現在のニュルンベルクは、一変して、このオペラ作品とクリスマス市で有名な平和な都市となっています。
ワグナー個人の思い入れが込められた作品
オペラの話に戻りましょう。ワグナー自ら台本を執筆した『ニュルンベルクのマイスタージンガー』には、ワグナーの個人的な音楽に関する意見が散りばめられた、象徴に満ちた作品となっています。登場人物の一人、市書記のベックメッサーは、正統派の人物で、頑固な職業意識に支えられ、純粋で確固とした伝統を守り、新しいことを受け入れようとしません。反対に、ハンス・ザックスは、人気の音楽家で、人間臭く、民衆に好かれる身近な存在です。ヴォルターは学問的な縛りを受けない自由な芸術家で、音楽家として自己実現するために自分で道を切り開いていく、唯一無二の芸術家として描かれています。
物語は、このアカデミックな世界対音楽の自由性という構造を巡って展開します。最後には、ワグナーの自己投影像であるハンス・ザックが、ワグナーが誇りにしていたドイツの伝統音楽を通じて両者を融和させる形で幕を閉じます。
4時間半の長い作品ですので、オペラファンでも辟易するという人もいますが、偉大なるワグナーの個人的な思い入れが練りこまれた、楽しい作品となっていますので、ぜひご鑑賞ください。その時に、近代史の背景を頭に入れておくと、数倍も楽しめると思います。
【関連記事】