終わる終わる詐欺
『下町ロケット』が3ヶ月の放送期間ではめずらしい、二部構成をとり、さらに「ガウディ計画編」などと名前までつけてきたのはなぜでしょうか。推測ですが、近年多くなった「最終章」と関係しているのではないでしょうか。
「最終章」、昔は『リング~最終章~』『浅見光彦~最終章~』のようにシリーズものの終わりの作品という意味でした。しかし最近は「最終回前2,3話ぐらいからの最終エピソード」という意味でよく使われています。
「最終章」が使われるのは、だいたいのドラマで最終回は視聴率があがるため。毎回は見ないけど結末は気になる、と見る人が多くなります。だから「最終章」といっておけば最終回かと思って見る人がいるかもしれないというヒッカケですね。「最終回詐欺」とか「終わる終わる詐欺」とかネットなどでいわれています。
これで批判が多かったのは2008年春のフジテレビ。
木村拓哉主演の『CHANGE』が第7話サブタイトルが「衝撃の結末!!消えた総理」と終わりそうなタイトルをつけて終わらず。続く第8話が「最終章・序章」で本当の最終回はその次の9話でもなく第10話。
並行して長澤まさみ・上野樹里の『ラスト・フレンズ』は第10話に「最終章」とつけて、第11話が最終回。さらに翌週は総集編に新撮も加えた特別編。
本当の最終回がいつかわからないと批判され、フジテレビの社長が会見で「問い合わせがあった。今後の課題としたい」と釈明しました。
最終章のルーツは
しかし、その後も「最終章」は廃れず。夏ドラマでは『ホテルコンシェルジュ』が泉ピン子ゲストの最終二話を最終章だといっていました。むしろ視聴者の方が慣れたようで、批判されることもなくなり定着しています。そもそも「最終章」というのをいいだしたのは何からなのか?
新作の地上波連続ドラマについて調べたところ2004年、中居正広主演『砂の器』に行き当たりました。第10話が「宿命・最終楽章前編」。続く最終話が「完結編・運命の再会」。「前編」とついているので最終回だと騙そうとはしてませんが、探した範囲ではこれが最も古い事例でした(もっと古いものをご存知の方がいれば、ぜひ教えて下さい)。
『砂の器』も『半沢直樹』『下町ロケット』の福澤克雄ディレクターを中心とするチームの作品。「最終章」に視聴者が慣れて効果が薄れてきたので、新たに盛り上げる手段として二部構成を考えたのではないでしょうか。
「最終章」のように二部構成の手法も流行るでしょうか?『下町ロケット』の「ガウディ計画篇」がどこまで盛り上がるのかにかかっているのかもしれません。