「なんだか面白そうだなあ」と応募した
蜷川幸雄演出作で俳優デビュー
阿藤快さんといえば、庶民派リポーターや、個性が際立つサブキャラとしての印象が強い方も多いと思うのですが、実は彼のルーツは「舞台」にあったのです。東京都立大学・法学部を卒業した阿藤さんは、1969年、当時演出家としてはまだ無名に近い蜷川幸雄氏の舞台『真情あふるる軽薄さ』にアンサンブルの機動隊員役として出演します。きっかけは「新聞広告で募集していてなんだか面白そうだったから」。その作品からの縁で、俳優座の舞台部で裏方としての仕事を一年半続け「そろそろやめ時かな」と思っていた所にある転機が訪れます。
その転機とは、俳優座の舞台作品だけではなく、多くのドラマや映画でも活躍していた中村敦夫さんと原田芳雄さんに「役者をやってみないか?」と誘われたこと。俳優座所属とは言っても表に出る俳優部ではなく、大道具を建てこんだり舞台周りの裏方仕事をこなす舞台部にいた阿藤さんは、中村さん、原田さんの映像の現場に帯同し、そこで小さな役を演じながら、俳優としての道を本格的に歩み始めるのです。
特に原田芳雄さんとの絆は深く、一緒に俳優座を退団した後も阿藤さんは原田さんを「兄貴」と慕い、原田さんが出演する多くの映画やドラマに自身も参加し、プライベートでも親交を深めていきます。
1970年代から80年代にかけて、阿藤さんが多く演じた役柄が「犯人」。『太陽にほえろ』では7回、『西部警察』では4回ゲスト出演しているのですが、11回中の出演のほぼ全てが犯人役……ということで、これは刑事ドラマの中でもかなり珍しいそう。
⇒ 阿藤さんがブレイクした「あのドラマ」とは?