林邦史朗さんといえば大河ドラマの殺陣。大河ドラマ第三作『太閤記』を24才で担当してから『花燃ゆ』まで54作中、44作の殺陣・武術指導を担当しているから、担当していない作品をいった方が早いぐらいです。
殺陣を変えた
林邦史朗殺陣の特徴は、芝居や東映時代劇などの様式美的殺陣と違ったリアル志向。『太閤記』で殺陣師として抜擢されたのが24才。NHK側もそれまでの時代劇とは違った殺陣を期待していたのでしょう。さらにそれまでの殺陣は剣での斬り合いだけでしたが、ドラマではそれ以外の剣の流派であるとか空手など他の武道と闘う場合もあり、それぞれの専門家を呼んできて撮影が滞ることもありました。そのため林邦史朗さんは自らさまざまな武術、合気道や空手・琉球古武術・中国拳法・忍術、さらに各種剣術の流派はもちろん、古武術(弓・槍・薙刀・柔術など)も体得、一人で指導できるようにしました。大河ドラマでは『琉球の風』で沖縄古武術、『武蔵』で二天一流、柳生新陰流など必要になり、その研究が生きています。
スタントマンのプロダクション「若駒」を設立し、殺陣の稽古場・武劇館を建てて指導するなど後進の育成もすすめており、その技術や精神は受け継がれていくのでしょう。
ご冥福をお祈りします。
朝ドラだけど大河
もう一人、大河ドラマをずっと担当している人といえば「衣装考証:小泉清子」。その正体は呉服店・鈴乃屋の創業者で現在は名誉会長。太平洋戦争で夫が戦死。子どもをどう育てようかと途方にくれていたところ、母親に「あなたには着物があるじゃないの」といわれ1947年に創業。表裏両面が着られる「リバーシブル着物」などの従来の着物の概念にとらわれない新商品で次々ヒットを飛ぱし、全国チェーンに育て上げました。朝ドラのモデルになってもおかしくない経歴です。
大河ドラマは1984年放送の第22作『山河燃ゆ』以降、『花燃ゆ』まですべてを担当。きもの研究家だから時代ものがメインかと思ったら、大河ドラマ初の近代もの(昭和初期~戦後)である『山河燃ゆ』からというのが興味深いところです。
大河ドラマ以外でもNHKドラマの衣装考証が中心ですが、民放だと『渡る世間は鬼ばかり』。タイトルバックは石井ふく子プロデューサーといっしょに選んだ着物の反物。
1918年生まれで現在97才。いつまでも続けてほしいところです。
次は「『世にも奇妙な物語』でも」