寿美とは対照的なノーブルな魅力を持つ明石照子が他組から特別出演をし、その力量や風格が、この作品を成功させた大きな要因となりました。そしてその下で、真帆しぶき、那智わたる、内重のぼると、人気も実力もあるスターが熱演。また娘役では、この作品で退団した浜木綿子(俳優・香川照之さんの母)が、美声を聴かせ活躍しました。
1961年「第12回NHK紅白歌合戦」に、寿美花代は現役タカラジェンヌとして初出場し、高度な表現力が必要な『華麗なる千拍子』のナンバー、「ジャズ・バンド」を熱唱。この年、「華麗なる」という言葉も流行したほど、日本中が『華麗なる千拍子』に湧いたのです。
やがて、企画構成の素晴らしさと、寿美花代のショウマンシップが高く評価され、『華麗なる千拍子』は、宝塚歌劇団にとって初めての芸術祭賞(後の芸術祭大賞)を受賞しました。
日本民族舞踊『火の島』の快挙
『華麗なる千拍子』の翌年の1961年(昭和36年)、これも宝塚歌劇の歴史に残る名作が誕生します。郷土芸能研究会構成、渡辺武雄演出、川井秀幸脚本の、日本民族舞踊シリーズ第4集『火の島』です。
これは、南九州に伝わる数多くの民俗舞踊を表現した作品で、迫力ある群舞の場面に観客は圧倒されました。
スターもみな同じ衣装。舞台に砂をまいたり、セットや照明で桜島の噴火を表現するなど、リアリティーを出すための工夫が随所になされました。
明石照子、真帆しぶき、秩父美保子(寿美花代の妹。後に松平美保に改名)、加茂さくららが中心となり、あらたな日本物のショーとなった『火の島』は、多大な評価を受け、『華麗なる千拍子』に続き、二度目の芸術祭賞を受賞。また「テアトロン賞」「レインボー賞」も受賞するという快挙を成し遂げました。
この時代の人気スターは……別格扱いの大スター春日野八千代、そして明石照子、寿美花代、真帆しぶきに続き、星空ひかる、麻鳥千穂、如月美和子、浜木綿子、秩父美保子、扇千景、大空美鳥、近衛真理、加茂さくら、八汐路まり…と、個性的なスターが多い時代でした。
中でも、那智わたる(マル)、内重のぼる(サチ)、藤里美保(オソノ)の「マル・サチ・オソノ トリオ」が人気を博しました。