「一億総活躍」って何だろう?
違和感のあるスローガン
内閣改造が行われ、「一億総活躍社会」というスローガンが発表され、同時にそれを統括する「一億総活躍担当大臣」が新設されると、日本社会はその具体的政策よりも名称にばかり話題が集中した。そのわけは使用された言葉への違和感にある。その違和感がいま一人歩きしていると言ってよいだろう。
ただ、違和感について論じる前に、まず、政権がこのスローガンの下で何をしようとしているかをおさらいする。
あくまで「目標」にすぎない
一億総活躍という言葉の中には幾つかの要素が含まれている。一億とは約1億2000万人いる日本国民を指すが、では、活躍とは一体何をもって活躍というかが難しい。しかも「総(=すべて)」が付けられているのだから、日本国民全員赤ん坊から老人まで一人残らず活躍する社会という意味になる。そんな社会はあり得ないが、あえてその看板を掲げて取り組むというのが安倍政権の「新3本の矢」だ。
新3本の矢とは「GDP600兆円」「出生率1.8」「介護離職ゼロ」。これを実現することで、50年後も人口1億人を維持しようというのが政権の考えだ。
ところが、よく見るとそれらは具体的施策ではなくあくまで「目標」にすぎない。それをどのように実現するかが政治であるが、その具体的内容は今後検討することになっている。
つまり現時点では一億総活躍社会とは「理想はこうです」という目標の発表に過ぎないというわけだ。
実は旧政策の看板を掛け替えたもの
一億総活躍という名前の影響で、あたかも新しいことを始めるかのような印象を持った人もいるかもしれないが、新3本の矢は、実は旧政策の並べ替えと焼き直しである。これまでの政策と新3本の矢を筆者の見立てで比較したのが次の図だ。
これまでの目玉政策は「アベノミクス3本の矢(経済政策)」「地方創生」「女性の活躍」だが、新3本の矢はいずれも旧政策を引き継いでいる。
「GDP600兆円」はアベノミクスを受けたもの。「出生率1.8」は地方創生に入れられていた若者への政策と女性の活躍をミックスさせたもの。「介護離職ゼロ」もそれらと連携するものだ。
つまり看板は劇的に変えられたが、やろうとしていることは従来の施策の大部分を踏襲している。
「一億総活躍担当大臣」が兼務である理由
今回、一億総活躍社会の実現に向け、「一億総活躍担当大臣」が新設された。政策の柱を担うはずの大臣が単独ではなく兼務となっている。なぜかを考える際、同時に新設された「一億総活躍国民会議」に一つの答えがある。このメンバー15人中7人は政府の他の会議との兼務だからだ。つまり一億総活躍とは新しい何かをするのではなく、従来の政策を名前を変えて継続することが、メンバーからもわかるのである。
一億総活躍担当大臣は第二の官房長官
ただし一億総活躍担当大臣には、従来の担当大臣にはなかった役割が与えられているのも見逃せない。それは政策の「司令塔」としての役割だ。一億総活躍社会の実現は政策の柱であり、その司令塔ということは、事実上、官房長官的な役割と見られる。従来の官房長官とは、司令塔であるのと同時に官邸のスポークスマンでもあるが、一億総活躍担当大臣は、より政策に近い位置にいる第二の司令塔とも言える。
地味な政策になぜ不評を買うような名称をつけたのか
このように一億総活躍社会は政策的に見れば地味である。それにもかかわらず、なぜ「一億総~」というような不評を買うような名称にしてしまったのか。「一億総活躍」という、あたかも国民が一人残らず活躍するかのような、現実にはありえないスローガンを掲げることで、逆に具体的方策がない印象を与えるリスクを考えなかったのだろうか。
たとえばスポーツ中継に呼ばれた、スポーツが専門ではないゲストが、コメントに窮して「どの選手もガンバレ!」「みんなに勝ってほしい!」と口にしてしまうのに似ている。
こうしたコメントは表だっては強く批判はされにくい反面、空疎な印象を与える。それが専門性が全くない者であれば許されるとしても、政府そのものが一億国民が全員活躍などと言ってしまうのは果たして適切だったかだ。
不評の理由は「恐怖」を伴った「嫌悪感」
「一億総活躍国民会議」のメンバーに選出されたタレントで戸板女子短期大学客員教授を務める菊池桃子さんからも、名称がわかりにくいとダメ出しされたが、これはまだ好意的な受け止め方といえる。なぜなら「一億総●●」という言い方は、国民に対して恐怖を伴った嫌悪感を与える場合があるからだ。
日本政府が「一億総●●」という形の言葉を用いた時、過去の「一億火の玉」「一億総玉砕」「一億総懺悔」など、その「●●」にどんな言葉が入ろうとも、日本国民は常に被害者となってきたからだ。
今回その「●●」に、活躍というプラスイメージの単語が入ったが、どんなに耳当たりの良い言葉に置き換わろうと「一億総●●」という形式のスローガンを聞いた瞬間、過去の悪夢を想起する人もいるかもしれない。
政治は言葉を大切にしなくてはいけない
政策の具体的内容を考える前に、こうした表現を用いたことには、やはり批判的にならざるをえない。なぜならどんな政策であれ、受け取る側の印象が悪ければ協力を得られず、結局うまく行かないからである。政権は通常、実現することが絶対に100%不可能なことやマイナスイメージのある文言を看板に掲げることはないものだが、今回それが行われてしまったのは、現政権において言葉を慎重に吟味し選択する機能が低下していることを意味している。
これは、誰からも否定されにくい言葉を使おうとしすぎるあまり、誰からも積極的に支持されないものになってしまうという、イメージづくりの典型的失敗例ともいえるが、政策の実行そのものは失敗するわけにはいかない。