瞳みのるの現在
1971年のザ・タイガース解散以降、学校教員、中国文学研究者としての仕事に専念し、長く芸能界と訣別していた瞳みのるさん。2011年に電撃復帰してザ・タイガースの再結成ツアーを成功させたことは記憶に新しいが、その後はどのような活動をしているのだろうか。
2015年9月22日から23日、筆者は彼の69歳の誕生日と大阪市西成区制90周年を記念して開催された『瞳 みのる Ha Pee y Birthday Event 2015 in Nishinari』を取材した。
リハーサルから打ち上げまで密着し、本人や共演者の貴重なインタビューをおさめることが出来た。
思い出の明月荘
会場、西成区民センターのある岸里は瞳さんにとってデビュー前のファニーズ(ザ・タイガースの前名)時代にメンバーと寝食を共にした想い出の地。ビル、マンションの類はまだ少なく、古い住宅と飲食店が混在する典型的な大阪の下町だ。
22日のリハーサル後、瞳さんとイベントの共演者、宇野山和夫(元リンド&リンダース)さんは当時暮らしたアパート『明月荘』の付近を散策。
壁一面をブルーシートにおおわれ、崩れかけた廃屋を前にすると感慨深そうに語った。
長年の風雨に耐え二人を待っていた明月荘だか、近々に取り壊しが決まっているという。瞳「よくこの窓から宇野山さんを起こしたんですよ。“うーにゃん!いつまで寝てるんだよー!”って。狭い部屋で生活も楽じゃなかったけど、楽しかった。ギャラが出た日にはメンバーと近所でお寿司食べたりしたね。さっき通ったら無くなってたけど。」
宇野山「明月荘はバンドマンや流れ者が集まる出入りの多いアパートだった。僕が誘ってリンド&リンダースやファニーズのメンバーが住み始めたんです。2畳や3畳の広さで部屋によっては窓さえないこともあった。
50年前、小さな明月荘で夢だけを頼りに青春時代を過ごしていた僕たちが今、こういう晴れがましいステージに立つことが出来る……感慨無量だよ。瞳も同じ気持ちだと思う。」
インタビュー
瞳さんへのインタビューは22日のリハーサル後におこなわれた。ガイド:学校を退職され、芸能活動を再開されて5年目。2013年にはザ・タイガースの再結成ツアーがあり、最近も新作CDをリリースされたり若いメンバー達と22世紀バンドを結成されたりと、どんどん勢いよく車輪が回ってきているように感じます。ご本人としての実感はいかがでしょうか?
瞳:いや、まだまだ車輪は回りきってないしやり切れてないことが多いと思っています。もっと頑張らないと。
ガイド:今回のイベント『Ha・Pee・y Biethday Event2015 in Nishinari』はどのように企画されたのですか?
瞳:去年、全国20ヵ所でツアーをやったんですが、大阪でやるときに毎日新聞の記者から紹介で臣永正廣(とみながまさひろ)西成区長が観に来てくださったんです。西成はファニーズの頃住んでいて思い入れのある土地だったので「区制90周年に合わせてイベントをやってもらえませんか」と言われて喜んで引き受けさせていただきました。
ガイド:リハーサルを拝見しましたが、音楽が前面ではなくあくまでトークが主体になった内容ですね。
瞳:そうですね。宇野山さんや坂田(岳)さんとのトークに、時おり大阪が題材の歌謡曲を交えて……という内容にしました。
ガイド:村田英雄さんの『王将』、藤島桓夫さんの『月の法善寺横丁』、河島英五さんの『酒と泪と男と女』などシブいところが並びましたが、これらはもしかして瞳さんのカラオケの十八番だったりするのでしょうか?
瞳:いや、今回のために選曲しただけです(笑)特にBOROの『大阪で生まれた女』は『大阪で暮らした男』という替え歌にして、ファニーズ時代のことをふりかえった歌詞をつけました。
ガイド:教員時代はカラオケに行ったりCDを買ったりして音楽にふれあうことはありましたか?
瞳:なかったですね。人より遅れて大学に入ってるから、それを取り戻すための勉強や子育てもあったりして余裕がなかったんです。遊んでいる時間がなかった。
ガイド:芸能界に戻られてからはいかがでしょう?教員時代聴いていなかった音楽をふりかえったり、最近の音楽をチェックするようなことはありますか?
瞳:教員時代に流行った音楽はなんとなくは覚えてたりするので、いま改めて聴いて「いい曲だな」って思うことがありますね。今回のイベントで歌う曲にしたって河島英五やBOROはザ・タイガースが解散した後の歌手だからね。
現代の音楽も聴かないことはないです。
9月28日から始めるツアー『Let’s Go カキツバタ』では1950年代半ばから現代まで、アメリカン・ポップス、ブリティッシュ・ポップス、チャイニーズ・ポップス、ジャパニーズ・ポップスといろんな国の音楽をカバーするんです。
ただ、チャイニーズポップスでは最近の曲もやるけど、ジャパニーズ・ポップスでは全然考えてないですね。せいぜいガロの『学生街の喫茶店』とかそこらへんまでかな。
ガイド:現代の日本で流行っている楽曲にはあんまりピンときませんか?
瞳:メロディーよりもリズムが中心で、歌詞も僕の感覚としては斬新なものが少ないように思うんです。あまりに思想性がないから誰が何を歌っても同じようになっちゃう。ただ踊れてリズミカルであればいいと言う感じかな。
僕が齢をとったから思うのかもしれないけど、年代による感覚の変化を超えてそういう傾向が強まっている気がしますね。
ガイド:たしかになにを言っているのか聞き取りにくかったり、歌詞カードを手にしてもなんの内容もなくてがっかりするという楽曲は増えていると思いますね。
瞳さんの書かれる歌詞は、例えば五言絶句のような中国の定型詩の影響があると思うのですがいかがでしょうか?
瞳:日本語に5・7・5があるのと同じように中国語なら5言、7言、絶句、律詩というのがリズムに乗りやすいんですね。そして中国語は韻が複雑でおもしろい。僕はずっと中国語をやっているので、日本語で歌詞を書く時も自然に脚韻(きゃくいん)を踏むということを心がけているのかもしれません。
ガイド:現代の日本では独特のスタンスですね。
瞳:そうですね。「聞き手は気にしない。そんなことにこだわっても意味がない」って言う人もいるんですけど、やっぱり僕は聴いていて心地よい響きで、無駄の省かれた歌詞に魅力を感じるんです。
たとえば井上陽水の『リバーサイドホテル』は「川ぞい リバーサイド」とか「金属のメタル」とか同じ意味の言葉をたくみに並べて面白さを出してると思うけど、誰でも彼でもそういうスタイルになっちゃうとおかしいですよね。
ガイド:サウンドの面では特に「今こんな音を作りたい」というようなこだわりはあるのでしょうか?
瞳:僕はサウンドにはあまりこだわりがないんですよ。ジャズ、ハードロック、歌謡曲……その曲に合って大衆性から逸脱しないならなんでもいいと思う。サウンドとメロディーと歌詞が一体になった結果として、これまでになかったものを作りたいとは思いますけどね。
ガイド:9月22日発売の新曲『三日月』はどんな思いで作られたんでしょうか?
瞳:ポピュラーで心躍るような楽しい曲を作りたいと思ったんです。今、22世紀バンドのメンバーと一緒にスタジオで練習することが多いんですが、メンバーにしてもスタジオに出入りするお客さんにしても若い人が本当に多い。そういう若い人たちとふれあう中で感化された部分が出ている曲だと思います。
ガイド:瞳さんが芸能界に復帰されたとき、あまりの若々しさにびっくりされた方が大勢いらっしゃいました。
やはり体型維持やファッションについては強いこだわりをお持ちなんでしょうか?
瞳:やっぱり「ザ・タイガースのメンバーとして無様な格好はできない」という気持ちがずっとありました。教員の時代にも。変わり果てて誰だかわからないようなことにはなりたくなかったんです。
ガイド:芸能活動を続けてきたメンバーの方たちよりも元のまんまですもんね。
瞳:結果的にそうなっちゃいましたね(笑)。
ガイド:お休みの日はどんな過ごし方をされていますか?
瞳:今は仕事にストレスを感じてないんで「もっと働きたいな」と思っちゃいますね。家でも仕事できますからね。
ガイド:まだまだお仕事を広げていきたいんですね。身近な目標というのはありますか?
瞳:そんなに大きな目標はないんですよ。あえて言うなら歌もドラムももっと上手くなりたいってことかな。でもそんな急激に上手くなるわけでもないし、楽しむことを大事にしていきたいですね。
ガイド:瞳さんはけっこうお酒を飲まれるクチだと聞いたんですが、最近はどんなお酒を飲まれていますか?
瞳:赤ワインが多いですね。あとシャンパン、スパークリングワイン……洋酒が多いです。
最近、日本酒を飲むと頭が痛くなるんです。
ガイド:お土産のセレクトを間違ってしまいました(笑 ※この日、中将タカノリからの手土産が日本酒だった)。
瞳:いえいえいえ、あれはありがとうございました(笑)。
ガイド:赤ワインはおススメの銘柄とかありますか?
瞳:銘柄まではないですけど、重めのフルボディがいいですね。アルコール度数が14度くらいの高めのものでオーストラリアや、チリのワインがいいです。味は重く、値段は軽く(笑)。
力を抜かないリハーサル
23日のイベント当日は午前11時から最終リハーサル。臣永区長や区内の女子中学生によるコーラスグループを交え、喋って歌って走り回って……本番さながらのテンションでプログラムを確認してゆく。
元気に見えても、瞳さんはじめメインの出演者は全員70歳前後。本番前にここまで体力を使っても大丈夫なのかと心配したが、おかまいなしに1時の開場時間ギリギリまでリハーサルは続けられた。
瞳さんの中学校時代からの親友でこの日MCとして出演する坂田岳さんは語る。
「ピー(瞳)は一人で喋らせたらいろんな方向に話がいっちゃうからね(笑)それを制御するために僕が呼ばれたんです。
団塊の世代は気が若いですよね。ピーもそう。学生時代からタイガース時代、教員時代、そして現在まで知ってるけど全然変わってないです。
自分もファニーズと同じ頃にバンドをやってたけど、職業にはせずに伝統工芸の職人として生きてきたんですね。
でも還暦を過ぎた頃に"本当の自分に戻ろう"と決意して昔のコネでMCとしてステージに帰ってきました。
第二の人生ってやつかな?とっても楽しい。もしかしたらピーも同じような心境で活動しているのかもしれないですね。」
歌とトークと……結婚発表!?
イベント本番は筆者も客席後方から観させていただいた。会場は見渡す限り超満員。全国から終結したファンたちが再会を喜び合う光景も其処此処に見られ、独特の熱気に包まれていた。
開演直後、いきなり『酒と泪と男と女』の歌詞をまちがって初めから歌いなおすというハプニングがあったが、逆にそれが客席を沸かせてしまうところが瞳さんのキャラクター性。
宇野山さん、坂田さんら気の合う旧友たちとのステージはいかにも楽しそうで、観る者をほのぼのとさせる。
ファニーズ時代の思い出話、奥村チヨさん、和田アキ子さん、ペコさん(現レスリー・マッコーエン夫人)ら関係者についての打ち明け話、トークにまつわる大阪各所を舞台にした歌謡曲の紹介、女子コーラスグループとのタイガース名曲コラボレーション……
瞳さんらしい講演会とコンサートをミックスした約2時間のイベントは盛況のうちに進行し、しかも終演まぎわには
「まっ先にファンの皆さんの前で発表したかった」
とまさかの入籍発表。
第三、第四の人生に向けて力強く漕ぎ出そうとする姿に割れんばかりの拍手と歓声が贈られたのだった。
瞳みのるの真実
終演後の楽屋には若き日の瞳さんがバンドボーイを務めた『古谷充とザ・フレッシュメン』メンバーでピアニストの大塚善章さんが来訪。「当時のフレッシュメンのコンサートでは、お客を盛り上げるためのサクラでピーが真っ先にフロアで踊りに出てくれてたね。」
と声をかけると「懐かしいですね。お元気そうでなによりです」と直立して恐縮する瞳さん。
師弟再会の貴重なワンシーンを目にすることができた。
長年、芸能界から距離を置いていたことで頑なに見られがちな瞳さんだが、実際はそうではない。
やむにやまれぬ理由が彼をそうさせただけで、実際は非常に人情に篤く、ほだされやすい人なのだ。柔軟で他者に寛容だが、それでいて自分の礼儀は重んじる。
だからこそ長年の確執をこえてザ・タイガースの仲間と和解したり、昔なじみの先輩、友人を大切にしたり、70歳を目前にして伴侶と新たな人生に踏み出すことを決断したりできるのだろう。
瞳みのるさん……個人的にザ・タイガースのファンであることを別にしても、ミュージシャンとして一個人として非常に興味深い人物だった。
いつかお酒を飲みかわし、さらに深いお話を聞かせていただける機会に恵まれればまたこのコーナーで紹介したいと思う。