『TOP HAT』観劇レポート
“エンタテインメント”の根源的役割を思い起こさせる
無邪気さとゴージャス感に満ちた舞台
『TOP HAT』撮影:花井智子
「紳士淑女の皆さま、この作品は携帯電話が発明されるずっと前の時代のお話でございます、どうぞスイッチをお切りください」というユーモラスな英語アナウンスに続いて響く、華やかで端正な音色。場内はたちまちアーヴィング・バーリンの音楽の魔法で明るく無邪気な空気に包まれ、序曲終了とともに自然と拍手が沸き起こります。
『TOP HAT』撮影:花井智子
十分に空気が温まって幕が開くと、そこはブロードウェイのステージ。金色をあしらった20余名のダンサーたちが“Puttin’ On The Ritz”に乗せて一糸乱れぬダンスで早速観客を魅了しますが、その中央でひときわ輝くのが、主人公ジェリー・トラヴァース役のアラン・バーキット。半年ほど前、筆者が英国バーミンガムで観た公演では、ちょうど技術的な事故が発生したとかで開幕が10分ほど遅れたためか、その日のアランは「くじかれた出鼻は僕らがカバーするぞ」とばかりに、懸命さが最後列まで伝わってくる渾身のダンスでしたが、今日のアランは“ブロードウェイ・スター”としての風格充分。アフリカ系アメリカン・タップダンスのニュアンスをさらりと醸し出し、余裕綽々の笑顔でステップを踏みます。
『TOP HAT』撮影:花井智子
ゴージャスな幕開きに続いて展開するジェリーとデイルの“最悪の”出会い、ダンスを介して縮まる二人の間、デイルの勘違いによるじれったいすれ違い、そしてすったもんだの末の大団円。今回の来日公演にあたっては改めてまとまったリハーサルを行ったそうですが、そこでは日本の観客への“見え方”も考慮されたのでしょう。実はインタビュー時、筆者が日本人には文化的にわかりにくいギャグを挙げると、演出家マシュー・ホワイトは“なるほどね”と頷きながら“もう一度細かく検証するよ”と約束し、今回の舞台ではそのセリフはさらりと流し、字幕で工夫するという処理になっていました。軽妙に流す部分、しっとりと余韻を残す部分のメリハリもいっそう増し、大絶賛に包まれた英国公演よりさらに完成度の増した舞台となっています。
『TOP HAT』撮影:花井智子
これを受けて、日本の観客もためらわずによく笑い、美しいデュエット・ダンスにはため息と拍手を惜しまず、カーテンコールでは来日公演では珍しいスタンディング・オベーションが発生。「日本の観客は静かだと聞いているけど、僕らの舞台はどう受け止められるかな」と不安と期待をないまぜに、直前までより良い舞台のためのチェックを続けていたスタッフ&キャストにとって、このリアクションはこの上ない喜びであることでしょう。
『TOP HAT』撮影:花井智子
勘違いからとはいえ、ヒロインが主人公の名前をほぼ、最後まで知らない…どころか、尋ねてもいない本作。そんなおバカなことがあってもいいじゃない!と許せてしまう無邪気さとゴージャス感、それは深刻なニュースの多い“今”の人々が、実は潜在的に求めていたものなのかもしれません。主人公たちが「Cheek To Cheek」を踊るとき、観客の心もその歌詞“Heaven, I’m in Heaven…”にシンクロし、日常の憂さはしばし忘れ去られます。“エンタテインメント”の根源的な役割さえ思い起こさせる舞台、と言えましょう。