小田原城址公園へ
さて、まずは小田原城天守閣を含む、小田原城址公園を歩いてみましょう。
小田原駅東口から小田原城址公園までは徒歩12分ほど。「お堀端通り」を歩いて行くと、右手にお堀と石垣が見えてきます。
小田原城のお堀と学橋
城址公園に入る前に、立ち寄っておきたい場所があります。お堀に「学橋」という赤い欄干の橋が架かっていますが、この橋のちょっと先にある、お城とは反対側の路地に入っていきます。
すると路傍に、下の写真の鐘楼が見えます。この「時の鐘」の鐘楼は、300年以上前の江戸時代から撞かれていたという歴史あるもので(現在の鐘は昭和28年の鋳造)、現在の場所には大正時代に移されました。
かつて大手門を支えていた石垣の上に立つ鐘楼
注目していただきたいのは、鐘楼が乗っている石垣で、その昔は、大手門を支えていた土台だったのだそうです。(現在は、左右のうち片側だけが残っている)
つまり、昔はこの場所に大手門があり、ここから三の丸に入り、二の丸へ向かうのが正式な登城路だったのです。今回は、この登城路に沿って歩いて行きます。
小田原城の登城路を歩き、「銅門」へ
大手門跡からお堀端に戻り、左手に少し行くと「馬出門土橋(通称:めがね橋)」が架かっています。この橋を渡り、「馬出門」をくぐってお城の中へと進んでいきましょう。
「馬出門」をくぐると「馬屋曲輪(くるわ)」という広いスペースがあり、その先にあるのが、今回の見所のひとつである「銅門(あかがねもん)」です。
小田原城「銅門」外観
門の名前は、耐火や防御のために門扉に打たれた銅金具に由来するもの。銅色に輝くこの門は、他の城門に比べて、とても美しく見栄えがします。
小田原城は、江戸時代初期の大規模な整備により、近世城郭の姿に整えられましたが、「銅門」はその工事の一環として建てられたのが最初のようです。
しかし、明治維新をむかえると、小田原藩は財政上の問題から「廃城令」を待たずに明治政府に「廃城届」を出し、明治3年に天守閣が解体されます。これに伴い、「銅門」も明治5年に解体され、現在の門は平成6年~9年にかけて復元されたものです。
「銅門」内部からの眺め。「敵が攻めてきたときに、どう守るか?」など想像しながら景色を眺めてみると、まるで戦国時代の武将になった気分に!
ちなみに現在、ふだんは立ち入ることができない「銅門」内部が、土・日曜日および祝日に限り特別公開されています。
■【期間限定特別公開】小田原城銅門
小田原市公式サイト
いよいよ、天守閣へ!
さあ、いよいよ天守閣の近くまで行ってみましょう。銅門の先から石段を上っていくと、本丸の正門である「常盤木門(ときわぎもん)」があります。
この門の先が小田原城の本丸、そして、奥には天守閣がそびえています。
小田原城天守閣入口。今回の耐震工事に伴い、天守閣内部での展示内容も一新した
前述したとおり、この天守閣は昭和の復興天守です。この「復興」という文字には、必ずしも江戸時代の天守を正確に「復元」したものではないという意味があります。
意外なことに、小田原城はこれだけ大規模かつ有名な城でありながら、明治3年、あっという間に取り壊されてしまいました。そのため、解体中の天守の写真が1枚だけ残されているのみで、取り壊し前の天守の偉容がどのようなものだったかを伝える写真が残っていないのだそうです。
天守閣よりの眺望。三層目に設けられた展望エリアをぐるっと一周すると、小田原市街、相模湾、箱根、丹沢などが見える
また、残された数少ない資料を基に江戸時代末期の天守の外観復元を目指したものの、観光目的のため、本来はなかった廻縁(まわりえん)と高欄を三層目に設置し、外観が一部異なることになったのだそうです。
とはいえ、お城といえば、やはり天守閣のイメージ。あるのとないのでは、イメージが大きく異なります。
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■小田原城天守閣
開館時間:9:00~17:00(最終入場16:30)
2016年6~8月の土・日・祝日と8月15~19日は、19:00まで(最終入場18:30)
閉館日:12月第二水曜、12月31日、1月1日
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