戦国ロマンの街、小田原での歴史散歩を楽しみます
2016年5月にリニューアルオープンした小田原城天守閣
小田原の案内役は、市民団体を通じて小田原城の見学会などの企画運営に携わる山本篤志さん
小田原城天守閣は、2016年4月まで耐震工事のため休館していましたが、5月1日より、館内の展示も一新してリニューアルオープン。また、NHK大河ドラマ『真田丸』にも登場することなどから、とても"旬"な観光名所です。
小田原城の歴史を少しだけ勉強しましょう
出かける前に、まずは小田原城の歴史を少しだけ勉強しましょう。小田原城の起源は定かではありませんが、少なくとも室町時代後期(1400年代の前半)には、武将・大森氏の支配する城がありました。小田原城が歴史の表舞台に登場するのは、戦国時代の風雲児、北条早雲(伊勢宗瑞)が、大森氏から小田原城を奪取してから。
小田原駅西口前の北条早雲像
早雲自身は、伊豆の韮山(にらやま)を本拠として小田原城を居城とすることはありませんでしたが、二代目の氏綱から、三代氏康、四代氏政、五代氏直までの歴代の当主が城と城下町を整備しました。
ちなみに、早雲から氏直までを「北条五代」といい、約100年(1496年頃~1590年)にわたり戦国大名として繁栄しました。
海と丘陵に囲まれた小田原城
しかし、天正18(1590)年、天下統一を目前にした豊臣秀吉が、日本国内で最後に残った敵対勢力である北条氏を滅ぼすために22万の大軍を率いて関東にやってきて、うち15万の兵力で小田原を包囲します。
これに対する小田原北条軍は、城と町の周囲を全長9kmに渡って「総構(そうがまえ)」と呼ばれる土塁と堀で囲むなどして応戦の準備を進めました。この時点で、「総構」を含む小田原城の城郭の規模は、我が国最大だったとされます。
わずか5万と数の上では圧倒的に劣勢だった小田原北条軍は、小田原城の堅固な守りにも助けられ、3ヶ月にもわたって籠城しましたが、最後には開城してしまいます。こうして、秀吉の天下統一が成し遂げられ、戦国時代にピリオドが打たれます。
次のページでは、大手門から天守閣まで登城路を歩きます!