感情を教える
優れた芸術作品は、子どもの「感情」を育みます
彼らは自分の感情が、ブラックボックスや耐火金庫に入っていると言います。「フタを開けたら、自分がどうなるかわからなくて怖い」と言います。そんな彼らに「今、どんな気持ち?」「悲しいの?悔しいの?それとも、淋しいの?」といった問いかけをして、一緒に感情を探ることを繰り返していくうちに、彼らは少しずつ自分の気持ちに気付いていきます。
健全な家庭では、子どもが言葉を話し始める前から、「感情の学習」は始まっています。「うれしいね」「悲しいね」と、大人が子どもの快・不快に共感し、声をかけることで、子どもはそれらを「感情」に結びつけて理解し、言葉で表現することを学んでいきます。身近な大人から適切な言葉がけをしてもらえず、気持ちを受け止めてもらう経験もなければ、自分の感情の種類はおろか、感情の存在にさえ気付けなくなるのは当然のことに思えます。
共感性が欠如した人は、圧倒的に男性に多いと言われます。子どもの頃、転んで泣いているときに「男の子は泣かないの」と言われたり、「痛くない、痛くない」と周りの大人から感情を否定され、「感情を押し殺すことは、男らしさである」と学習してしまった男性が、女性に比べて共感性が低いことは不思議ではありません。男の子の場合は特に、痛みや悲しみ、恐怖や不安といった感情を受け止め、共感することがとても大切だと感じます。
発達障害などにより、共感性がなかなか育たない場合でも、信頼できる大人からの言葉がけによって、「人はこういう時に、このように感じるものなのだ」と感情を学習し、社会適応に生かすことは十分可能だと思います。
社会規範を教える
「どうしてトンボは殺したらダメなのに、ゴキブリはいいの?」という質問をされたら、あなたはどう答えますか? 「猫を殺すのはかわいそうなのに、牛や豚はいいの?」という質問には?とても難しい質問です。スッキリした答えは出ないかもしれませんが、「子どもにはわからない」とか「大きくなったらわかる」と、逃げないようにしましょう。
たとえば、「ゴキブリはあなたを病気にすることがあるけど、トンボは病気を運ばないんだよ」とか、「牛や豚は、食べたら栄養になって、からだを作ってくれたり、元気のもとになってくれたりするけど、猫は食べないよね」などと伝えることができるかもしれませんね。
命についての質問が出るということは、子どもに考える準備があるということです。ああでもないこうでもないと一緒に考えることで、「命とは、たくさん考える価値のあること」だという位置づけはできるのではないでしょうか。
アリを踏みつぶしたり、トンボの羽をむしったりする残虐行為は、多くの人たちが幼少期に多少は経験していると思います。子どもの成長の過程として見守ることも大切ですが、子どもの部屋で刃物を見つけたり、わが子のことを「怖い」と感じるようなことがあれば、そうした自分の「生理的な感覚」を信頼し、放置しないようにしましょう。対応が難しいと思ったら、できるだけ早く、担任の先生や周りの人たちに不安を伝え、療育センターや児童相談所に相談するなどして、専門家に助けを求めましょう。「自分の子どもが普通じゃないと感じる」というのは、十分相談の理由になります。
>> では、子どもを加害者にしないために、近所の大人ができることはあるのでしょうか?