マッターホルン初登頂から150年~その歓喜と悲劇~

マッターホルン山頂

マッターホルン頂上に立つ登山家 画像提供:レッツスイス社


スイスを代表する名峰、マッターホルン。2015年はマッターホルン初登頂150周年にあたります。英国人エドワード・ウィンパー率いる7人のチームが、当時難攻不落と言われたマッターホルンの頂上に立ったのは、1865年7月14日。今から150年前のことです。

それまでわずかな行商人が行き交うだけの谷奥の寒村だったツェルマット。このマッターホルンの初登頂を契機に英国からの旅行客が続々と押し寄せ、スイス随一の山岳リゾート地として発展していきます。

2015年の夏、ツェルマットではマッターホルン初登頂150周年を記念して、さまざまなイベントが開催されます。特に注目は、ツェルマットで初めて開催される野外劇、「マッターホルン・ストーリー」。そしてマッターホルン登山の基地、ヘルンリ小屋も2013年からの大改修工事の末、2015年7月15日にオープンの予定です。



マッターホルン初登頂150周年~その歴史と秘話~

ウィンパー

7度目の挑戦で初登頂を果たしたウィンパー (c) Zermatt Tourismus

モンブランの初登頂1786年、ユングフラウの初登頂1811年などと比べると、マッターホルンの初登頂は1865年と比較的時代が下ってからでした。天空を突き刺すかのような独立峰のマッターホルンは、頂上に立つことなど絶対に不可能と思われていたのです。頂上には悪魔が棲んでいると本気で信じている人もいました。

ウィンパーは初登頂の前にも、数度に渡り、マッターホルンに挑戦していました。その多くはツェルマットからではなく、マッターホルンの南側、イタリアのチェルビニアからでした。マッターホルン初登頂の先陣争いのライバルとなったイタリア人ガイド、カレルとも一緒にチームを組んでいます。

マッターホルン初登頂メンバー

7人の初登頂メンバー (c) Zermatt Tourismus

カレルはイタリア人グループを引き連れてチェルビニアからマッターホルン山頂を目指し、出し抜かれたウィンパーは急遽テオドール峠を越えてツェルマットに移動します。そこで同じ日にやはりマッターホルン頂上を狙っていたダグラス卿らと遭遇し、7人の即席チームを組んだのです。

こうして始まったマッターホルン初登頂のレース。南のチェルビニアからはカレル率いるイタリアチーム、北のツェルマットからはウィンパー率いる英国チームが同じ日、同じ時間帯に頂上を目指します。そして初登頂の栄冠を手にしたのは、ウィンパーたち一行でした。

マッターホルン初登頂

初登頂の栄冠に喜ぶウィンパー隊 (c) Zermatt Tourismus

初登頂の歓喜に浸った7人は、お互いの身をザイルで繋ぎ、下山を開始します。そして途中で登山経験が浅かったメンバーが足を滑らせ、滑落。先頭のガイドと、後に続く2人もその巻き添えになりました。ウィンパーを含む後ろの3人はロープが切れたため、奇跡的に助かります。しかしそれは歓喜の栄光から、恐怖と失意の底に突き落とされた瞬間でした。

なんとか無事に下山した3人でしたが、「自分たちが助かるためにロープをわざと切ったのでは?」という疑念をかけられます。その疑念はその後の彼らの人生を大いに苦しめ、ウィンパーの晩年は酒に溺れる生活だったそうです。

マッターホルンの悲劇

足を滑らせたハドウは他の3人を道連れに滑落

悲劇的な結末に終わったマッターホルンの初登頂。しかしツェルマットの村の発展にとっては幸運な結果をもたらしました。マッターホルンはますます有名になり、英国をはじめ各国からおおぜいのアルピニストや観光客がツェルマットを目指します。そして現在のような国際的に有名な山岳リゾート地として発展します。

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