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遅ればせながら、いくよくるよの漫才を再評価する

80年代のマンザイブームに花を添えた人気漫才師・今いくよの訃報は、多くの人々に驚きと悲しみをもたらせました。心よりご冥福をお祈りするとともに、その人気に対してあまり言及されることの少なかった、漫才の実力についてたどってみたいと思います。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

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いくよくるよ漫才の持つ独自性

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いつまでも見られると安心していたものが、永遠に望めなくなる。こんなに寂しいことはありません。人気漫才師・今いくよの訃報は、まさにそんな思いを強くさせました。

明るく悪口を言い合いながらも、第三者を批判するネタは一切やらない。内心、オールドタイプの漫才と決め付けていながら、見れば必ず笑わされてしまう。老若男女にまっすぐ届く正統派です。

しかしその正統派の道を究めることは、決して平坦な道のりではありませんでした。今いくよくるよとしての歴史をたどりながら、彼女達が歩んできた漫才道を検証していきます。

最初は面白くなかった?

里谷正子と酒井スエ子の2人が、今いくよくるよとなったのは、1973年のこと。その数年前にOL勤務から漫才の世界に飛び込み、夫婦漫才の島田洋之助・今喜多代に弟子入りします。スター芸人となる人達は、デビューの時からどこか光るものがあるようですが、いくよくるよは当初まったく面白くなかったそうです。

「そうです」と伝聞形なのは、80年のマンザイブーム以前に彼女たちのネタをほとんど見たことがなかったので。いくよくるよを初めてテレビで見たのは、70年代後半に桂三枝が司会する関西ローカルの大喜利番組でのアシスタントだったかと。20代後半のいくよさんを見た印象は、単純に「きれいな人だな」でした。当時はつけまつ毛もバチバチしてませんでしたし(笑)。

ただ、その番組ではいくよくるよが声を発する場面がほとんどなかったため、後に漫才を見て「ハスキーな声が全然顔にあってない!」と驚いたりもしました。漫才自体の印象は「フツー」という感じ。80年のマンザイブームが巻き起こる少し前のことでした。
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