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やみつきになる邪道・大仁田厚の魅力とは

今のプロレス界は「新日本プロレスのひとり勝ち」と言われていますが、そんな中で特異な存在感を見せているのが大仁田厚です。大仁田は電流爆破マッチで90年代半ばに一世を風靡しました。その大仁田人気がここにきて再燃。電流爆破マッチをメーンにした「花火」シリーズは常に満員になります。昨年はプロレス大賞の敢闘賞にも選ばれました。一体、大仁田の何が人々を惹きつけるのでしょうか?

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

元々はG馬場の愛弟子のアイドル・レスラーだったが…

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観客を熱狂させる邪道・大仁田厚

背中に「邪道」の文字が描かれた黒い革ジャンに身を包んで「俺はプロレスが好きなんじゃ!」と絶叫する大仁田厚。リングサイドに殺到してリングをバンバン叩きながら大仁田コールを連呼する観客。その観客の頭にペットボトルの水をかけ、あるいは口に含んだ水を噴射する大仁田。大仁田が電流爆破マッチで世間に知られるようになったのは90年夏ですが、それから25年の歳月が流れても、その熱い空間は何ら変わりません。

今でこそプロレスの保守本流からかけ離れた「邪道」と呼ばれる大仁田ですが、元々は歴史と伝統を重んじる「王道」のジャイアント馬場が設立した全日本プロレスの生え抜き第1号選手でした。73年秋に16歳の若さで全日本に入門し、翌74年4月にデビュー。80年に海外修行に出るまで、ずっと馬場の付き人をやっていました。

82年3月7日に米国ノースカロライナ州シャーロッテでチャボ・ゲレロを撃破してNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者になり、同年5月に凱旋帰国。「炎の稲妻」のニックネームでアイドル・レスラーになったのです。当時、新日本プロレスのジュニア・ヘビー級王者はタイガーマスクで、大仁田はタイガーマスクに対抗する全日本のジュニア・ヘビー級のエースとして売り出されました。その時代は全日本と新日本は冷戦状態だっただけに2大ジュニア王者対決は残念ながら実現しませんでしたが、30年以上が経過した今、大仁田とタイガーマスクが50代で抗争を展開しているのだから運命の不思議さを感じます。

大仁田の人生が大きく狂ったのは83年4月の左膝蓋骨複雑骨折です。左膝の皿が5つに割れる重傷を負ったのです。1年1カ月後の84年5月に奇跡のカムバックを果たしましたが完治はせず、85年1月3日に引退しました。27歳の若さでした。

しかしプロレスの夢断ちがたく89年にFMWを旗揚げしてプロレスに復帰します。当時、プロレス界は本物志向の格闘プロレスを推進するUWFの大ブームでしたが、大仁田は「プロレスには反則もあれば、流血もある。何でもありがプロレスだ!」と真逆のコンセプトを打ち出し、そこから生まれたのがノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチでした。
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