入門当初からすぐれた運動神経の持ち主だったライオネス飛鳥は、それを充分に生かした技とスター性を発揮し、長与千種とともに「クラッシュギャルズ」を結成。女子たちの憧れを一身に受け、全日本女子プロレスの歴史を築き上げます。

ライオネス飛鳥のココがスゴイ!

■スーパー運動神経の持ち主
ライオネス飛鳥は、入団テストの時点で成績はトップでした。そのため、すぐに「士官候補生」となります。ただ、何もかもそつなくこなしてしまうため、プロレスを通してお客さんを感動させることができないと指摘されることがありました。特に、クラッシュギャルズ時代は、感情をむき出しにして戦う長与千種と比較され、クールで淡々とした戦いをすると言われていました。

■「クラッシュギャルズ」の前からとにかく強い!
1981年に全日本ジュニア王座、1982年に全日本シングル王座を獲得。1984年8月、クラッシュギャルズがWWWA世界タッグ王座を獲得しました。

■「クラッシュギャルス」としてスターに
1985年、長与千種と「クラッシュギャルズ」を結成。全日本女子プロレスの中心となります。やられ役の長与千種を最後に助けに行く正義の味方のような存在でした。当時の若い女の子たちは、まるで男の子に恋をするように、ライオネス飛鳥のことが好きだったようです。

■引退、そして復帰、さらにヒール(悪役)へ
1989年春、現役を引退。その後、プロレスの解説やタレント活動を経て1994年10月に現役復帰。戦いの場を吉本女子プロレスjd’に移します。ヒールに転向し、FMWやLLPWで活躍。1994年、4月と9月の2回にわたり、長与千種とシングルマッチ。2000年3月に再結成し、「クラッシュ2000」として5月に有明コロシアムで始動しました。2005年、正式に引退するまで、現役選手を引導する存在でした。



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