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愛川欽也はTVバラエティー黄金時代の立役者だった!(2ページ目)

亡くなる直前まで、人気番組でMCを担当していたTV界の巨人・愛川欽也。若い方にとっては「アド街ック天国」で最初にあいさつする人という存在だったかもしれませんが、実はテレビの絶頂期を支えてきたバラエティー界の大巨人だったのです。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

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「ふまじめな司会」の先駆者

同じ声の仕事でも、愛川欽也本人として強烈な個性を発揮したのが、TBSラジオの深夜番組「パック・イン・ミュージック」(1971~78)でした。これで若者達のハートをつかんだキンキンは、そのスタイルをテレビにも生かします。「リブ・ヤング!」(フジテレビ)、「11PM」(日本テレビ系)等で司会を務めましたが、ロングヘアーにノーネクタイというファッションで、ざっくばらんな口調をあやつることで、従来の司会者=真面目という従来のイメージを揺るがせました。

ラジオDJからテレビ司会者というコースを最初に切り拓いたのは、おそらく土居まさるでしょう。しかし、文化放送のアナウンサーだった彼は、深夜放送でこそ学生を相手にフランクな喋りを駆使したものの、テレビでは紺のスーツに身を包み、親しみやすさの中にも局アナらしさを保っていました。ちなみに、乱暴な物言いのイメージの強い大橋巨泉も、70年代にはまだおとなし目だったように思います。いちだんとくだけた喋りになったのは、タモリ、ビートたけしらと絡むようになった80年代以降かと。

最近では、番組の司会も大半がお笑い芸人になってますが、妙なコメントにツッコミを入れたり、積極的に自分の意見を語るなど、台本にとらわれない進行を始めたのは、愛川欽也がパイオニアでは。「なるほど!ザ・ワールド」での自由自在な司会は、今も多くの人々の記憶に残っていることでょう。


あの甲高い声の原点は?

キンキンというニックネームとは直接関係がないんでしょうが、一度聞いたら忘れないあの特徴的な声は、パーソナリティの大きな部分を占めていたように思います。しかし、吹き替えの仕事をスタートさせた当初は、持ち前の美声で二枚目俳優を担当することが多かったそうです。それでは「ニャンコ先生」などでも知られる、特徴的な甲高い声はいつごろ生まれたんでしょうか?

以前、ラジオか何かで聴いた話ですが、「おはようこどもショー」の初代ロバくんはもともと、目玉おやじの声で有名な田の中勇が演じる予定だったそうです。帯の仕事が入るとなかなか休めないと思った田の中さんは、時間のあるうちにと趣味の登山に出かけ、そこで事故にあい骨折してしまったとか。

幸いにも声優の仕事は骨が折れても続けられますが、ロバくんは止むを得ず辞退。代わりを担当したキンキンはひょっとして、田の中さんの声を真似てロバくんを演じ続けたのかもしれません。それが広く支持されたことで、彼は新たな武器を一つ手に入れ、その後の声優、俳優、タレントの仕事の中で縦横無尽に生かしてきました。


愛川欽也がいなければ「楽しくなければテレビじゃない」という時代は訪れなかったのかもしれません。この先テレビが復活を遂げるには、第二、第三の愛川欽也の登場を待たなければならないのでしょうか?
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