ただお金を送るよりも、雇用を作り出すことの方が価値が大きい
寄付をする姿勢は高貴で尊い、という指摘を否定する人は多くないと思います。しかし、投資的視点で考えたとき、ただお金を寄付することは消費といえそうです。「え~っ!だって世界のセレブやお金持ちは、たくさん寄付をしているよ」と思われるかもしれません。しかし、海外で寄付がメジャーなのは、主には宗教的な背景があること、そして税控除といった税制などにおける特典が手厚いからです。
もっと大きな理由としては「成功して、余裕のある状況になったから」「寄附行為が自分の評判となることが、ブランドイメージの向上につながり、ひいてはリターンとなることが予想されるから」という理由もあります。
つまり彼ら著名人にとって寄付は、自分の世間的評価を落とさない、あるいは上げるという意味において、立派な投資なのです。
しかし、これからお金持ちになろうとする人、その途上の人が、寄付によってますますお金持ちになることはありません。
もちろん、だから寄付は不要だとか意味がないという話ではありません。社会には必要なものですが、セレブでない個人にとっては自尊心が高められる以外にリターンがない、という意味です。
寄付している人が成功するように見えるのは、寄付以外の部分において「先に与える」つまり「相手にメリットがあることを提供する」という習慣を実践しているからです。
たとえば最初に無料で提供し、使ってもらって良かったら買ってもらう、という販売手法があるでしょう。商品を先に届け、代金の支払いはあとでもいいですよ、という掛取引があるでしょう。パソコンなどでも、最初にセキュリティソフトを無料で同梱し、あとで更新してもらう販促があるでしょう。
「寄付でますますお金が寄ってきた」というのは表面的なもの。他人からは見えないところで、「先に相手にメリットを与える」という発想でビジネスをやってきたから成功しただけのことです。
ただし、私の別の知人のように、震災後に本社を岩手県に移すとか、貧しい新興国で起業することは、寄附行為の一つであり、社会貢献にあたります。
特に被災地や貧しい国々では、現地の雇用を創出することによって継続的な支援活動を行えるし、現地の人々の自立にもつながるからです。
「もらえる」ならば、人はあまり考えなくなり、もらうという行為に依存します。それではいつまで経っても自立できない。
「魚を与える」のは災害の初期のステージだけにとどめ、次は「魚の取り方を教える」。それが雇用を創りだすということです。
これは、お金を贈るだけの寄付や、現地の仕事を手伝うだけのボランティアよりも難しいことですが、大きな意味のある行為ではないでしょうか。
参考文献:『お金持ちが財布を開く前に必ずすること』