愛してやまない作品の数々
『ヘアー』1997年
“パルコ劇場のプロデューサーの方から、『ヘアー』をやるので主役のクロードを演じてほしい、何年でも待つからと言っていただいたけれどどうする?”というので、“どうするも何も、やりたいよ!”と答えまして(笑)。そのあとも映像の仕事は入っていたのですが、どうにか調整が出来て出演しました。97年のことです」
――その後、03年の『レ・ミゼラブル』にジャン・バルジャンとしてお目見えしました。
「初演から憧れの舞台で、ずっとマリウスやアンジョルラスをやりたいと思っていたけどスケジュール的にオーディションが受けられなくて、悔しい思いをしていたんです。
それが2002年、『恋人たちの予感』という映画の舞台版に出ていた時に、東宝のプロデューサーがいらっしゃって、“『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けてみないか”と言って下さったんですよ。オーディションではバルジャンとジャベールの歌を両方歌って、バルジャンを演じることになりました。憧れの役が出来て幸せでしたね。
8年ほど出演する中で、共演者がどんどん変わり、今回、『シャーロック ホームズ2』で共演している橋本さとし君がバルジャン役に加わったりと環境は変わっていきましたが、演じるたびに発見があったし、今でも自分がやった役柄の中で大事な作品です。不朽の名作とよく言われますが、普遍的にこれからも上演されてゆく作品だと思います。僕自身、また機会があればいつでもやってみたいです。
『レ・ミゼラブル』写真提供:東宝演劇部
――作者のティム・ライスは昨年、“もし書き直すとしたらピラトの部分をもう少し膨らませたい”とおっしゃっていました。
「面白いけど、長くなってしまいませんか?(笑) 『ジーザス~』はとにかく、あの“サイケデリックさ”がいいですよね。(十字架の前で)“ジーザス クラ~イスト、スーパースタ~”なんて、究極の破天荒さですよ」
『ナイン』写真提供:tpt
「よくぞ言ってくれました。『ナイン』も僕にとって、とても大切な作品です。僕はデヴィッド・ルヴォー演出のブロードウェイ公演の千秋楽をバルコニーのど真ん中で観ていたんですが、終演後、主演のアントニオ・バンデラスが男泣きしていましたね。全く予備知識なく観た作品でしたが、“こんなに素晴らしい作品があるのか!”と衝撃を受けて、日本版の上演の話を聞いた時に、ぜひやりたいとアピールしたんです。あんなにプロデューサーと演出家に“何があってもやりたいです!”と言ったのは初めてでした。再演で出していただけることになって、『レ・ミゼラブル』の本番をやりながら稽古していました。それほどハードなスケジュールでも出たかったんです」
――ルヴォーさんは俳優の目線まで決める、細やかな演出家として有名ですよね。
「でも“強いる”演出家ではないんですよ。稽古が始まって1か月ほどの間、リハーサルの7割から8割は“お話”でした。作品論というか、紅茶とか好きなものを飲みながら、各シーンに出ている人たちに“この人はなぜこう言っていると思う?”といって、ああでもないこうでもないと、話し込むんです。俳優の側は、早く立ち稽古しなくて大丈夫かな?と思うのだけど、何もやらない。今思うに、ルヴォーは役者が腑に落ちるように導いてくれたのでしょうね。(『レ・ミゼラブル』の)ジョン・ケアードもそうでした。“Are you happy with that?”、ハッピーじゃないならどこがか、と聞いてくれる演出家でした」
――以前、日本で演出経験のある英米の演出家3人と同時にお話しする機会があって、日本の俳優の印象をうかがったところ、“日本の俳優は演出家に“先生”像を求める。どう演じたらいいか質問をして、指示を待っているけれど、もっと自身で考える部分もあっていい“と言われたことがあります。
「彼らはそういう感覚ですよね。上下関係を嫌って、地べたに一緒に座って一緒に作っていこうとしています。こうだからこうしなさい、というスタイルでは全くありませんでした。けれど、最終的にはうま~く彼らの思っているところに持っていかれてたなあと思います(笑)」
*次頁ではこの夏演じる次回作『南太平洋』について、また一見役者業とはかけ離れた仕事もこなされている理由をお話いただきました。