「釜めし 春」さんで、五目釜めしをいただく
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倉橋というのが主人公で、これはまさに高見順の分身のような存在。朝野という男は、倉橋より先に浅草に住んでいる作家。倉橋は朝野のおかげで、劇場の楽屋にも入り、踊り子たちとも会うことができる。
倉橋、朝野、そして倉橋が思いを寄せる小柳雅子という踊り子とその友人で同じく踊り子のサーちゃんの4人で釜めしを食べることとなった。
「さあ、おあがり」
と、朝野は言って、
「おや、ぺん吸は?」
これは女中に── 。はんぺんの吸物を注文してあった。
「はい、ただいま」
店は、ごった返しの混みようである。私たちは二階の隅に坐っていた。女中が去ると、
「お吸物があとになるナンテ、いやになっちゃうね」
そう言いながら、すでに釜の蓋をあけて、湯気の立ち上るながに箸を入れて、早速一口やって、
「あッつつ」
眼を白黒させた。まるで飢えた犬が固い骨を持てあます時のような、滑稽であさましいその口の恰好に、
「まあ、おかしい」
サーちゃんが雅子の膝に手をやって、その膝をゆすぶってゲラゲラ笑った。雅子も、くすぐられたみたいに身体をよじらせて笑った。
(「如何なる星の下に」(講談社文芸文庫)98~99ページ)
大正15年からこの地で営業を続ける「釜めし春」さん。平日の午後2時過ぎにうかがったが、お客さんでいっぱい。かろうじで席があったので着席。それにしても、お客さんの年齢層が高い。釜めしに対する思い入れは、僕たちの世代とは少し違うのかもしれない。
作品のように「ぺん吸」はないので、普通のお吸い物をいただく。メニューにはこんな写真や但し書きが会った。
釜でご飯をひとつひとつ炊くスタイルがウケたのだろうか。ピーク時は過ぎていたからか、20分ほどで釜めし到着。
しゃもじがのっかっている。こっから茶碗に移して食べるのだ。
なるほど、炊きたてのご飯は最初はもう熱々でなかなかいっきい食べられない。小説の中で朝野は、釜に箸を入れて直接食べているようだが、今は小さな茶碗によそってはまたいただくスタイルだ。お吸い物もおいしくいただいた。
■釜めし春
東京都台東区浅草1-14-9
11:00~21:00
無休