偉人たちが創った町
『つきやま』を出て、小道を右へ進むと、すぐにバス通りに出ます。角には、『鴫立亭』というコーヒーとケーキのお店があります。『鴫立亭』の角を曲がって
バス通りを右へ歩いて行くと、右側に大磯小学校の校庭が見えますが、ここにも大磯ならではの逸話があります。
昔、この辺りは三菱財閥の岩崎家が所有する「岩崎農場」の土地でしたが、岩崎家が、その一部(1600坪)を小学校の校庭として寄贈したのだそうです。そのため、校庭は「三菱のお陰」という意味で、『菱陰(りょういん)広場』と名付けられているのだとか。
このような話を聞くと、大磯という町は、つくづく、政界や財界で名をなした人々が創った町なのだなと思うと同時に、昔の政治家や財界人の懐の深さを感じますね。
安田善次郎の別邸(通常非公開、写真は観光協会イベントによる公開時)
ちなみに、大磯町内には、三菱のほか、三井財閥本家の別荘跡(城山公園)や、安田財閥の祖・安田善次郎の別邸(通常非公開)もあります。最盛期には約250もの別邸が大磯町内に、まさに軒を連ねていたのだそうです。
大磯は、なぜ、湘南発祥の地?
さらに道を進んでいくと、国道に突き当たります。信号を渡った先にある『鴫立庵(しぎたつあん)』に立ち寄ってみましょう。日本三大俳諧道場の一つ『鴫立庵』
『鴫立庵』は、京都の『落柿舎』、滋賀の『無名庵』と並ぶ、"日本三大俳諧(俳句)道場"の一つとされます。
『鴫立庵』のある鴫立沢は、西行法師(1118~1190年)が東国に下った折に、
心なき 身にもあわれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ
という有名な歌を詠んだ場所とされます。そして、江戸時代初期の寛文4(1664)年に、小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、西行をしのんで、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが『鴫立庵』の始まりとされます。
大磯が「湘南」という地名の発祥の地といわれますが、それは、この『鴫立庵』の歴史にからみます。
「湘南」というのは、もともとは、中国の湖南省を流れる湘江の南部のこと。崇雪の先祖は、中国から日本に渡り、小田原で外郎(ういろう)を商うようになった家系といわれます(※)。
「鴫立沢の標石」(レプリカ 本物は「大磯町郷土資料館」に保存)
そのため、崇雪が、この地に草庵を結ぶにあたり、先祖の地に思いを馳せ、「鴫立沢の標石」の裏側に、
「著盡湘南清絶地(ああ、しょうなんせいぜつち)」
と刻みました。
「ああ、湘南は清らかで、本当に素晴らしいところだ」というような意味になります。水辺に面した温暖な大磯の風土が、中国の景勝地「湘南」と似ていると思い、この地を「湘南」と称したのでした。
これが、大磯が「湘南発祥の地」となったあらましです。
※崇雪の出自については、様々な説があります。
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