寄席の当たり芸だった民謡
時の政府からの保護もない中で、民衆の中に根ざしてきた民謡、音頭ですが、明治維新以降は木戸銭(入場料)演芸として寄席への進出を果たします。数ある楽曲の中で観客の人気を集めたのが安来節、八木節、河内音頭など。これらに共通するのは、和太鼓や鼓などによる小気味のいいリズムが鳴り響く舞台だということです。とくに安来節は、大正時代に地元・島根で結成された一座が全国巡業で人気を博し、東京、大阪に常設の寄席を持つまでになりました。コミカルなどじょうすくいの踊りや、女性演者の色気に加えて、竹筒型のリズム楽器・銭太鼓のジャグリング的な妙技も花を添えました。
邦楽の大部分は三味線による伴奏が主流である中、終始太鼓が鳴り響く民謡は、寄席の観衆の心を弾ませ、思わず踊りだしたくなる高揚感を与えていました。
楽器なしでもリズムは刻める
戦後、ジャズに代表される洋楽がたちまち日本中に広まり、その勢いを受けてコミカルなリズムネタが一世を風靡しました。日本ならではのソロバンをパーカッション代わりに、歌と毒舌で一大ブームを築いたトニー谷です。いま見てもまったく古びて見えないのは、ハイテンポのリズムのなせる技かもしれません。こうして何らかの「楽器」を使っていた芸と比べると、いま流行のリズムネタの大部分は、息を合わせたコンビがアカペラで演じています。なかでも8.6秒バズーカーや、その先輩格にあたるオリエンタルラジオは、ノンストップで一定のリズムを刻むため、その大変さは何となく見ているだけでは伝わりにくいかもしれません。
だからこそのバッシングなのでしょうが、からかい気味に先輩芸人がツッコミを入れるのはいいとしても、それがさもまっとうな批判であるかのように(わざと)勘違いして、ニュースに仕立ててしまうことには、異議を唱えたいです。日本中の子どもたちが夢中になってマネすることだけ一つとってみても、文句なしに立派な芸だと言えるのではないでしょうか。