バスケットボール

バスケットボールの誕生とジェームス・ネイスミス

バスケットボールはジェームス・ネイスミスさんという生みの親が存在する珍しいスポーツです。リングの高さなど当時から変わらないものもあれば、変わるものもある。バスケットボールは繊細な気配りをしながら発展、現在は世界でも最も人気のあるスポーツのひとつになっています。

佐々木 クリス

執筆者:佐々木 クリス

バスケットボールガイド

バスケットボールはジェームス・ネイスミスが生みの親?

バスケットボールの誕生とジェームス・ネイスミス

世界中で親しまれているバスケットボールの誕生秘話をお届けします。

みなさん、こんにちは。佐々木クリスです。

今回がバスケットボール・ページの初回となりますので、まずはバスケットボールの誕生についてご紹介したいと思います。
   

バスケットボールは生みの親が存在する珍しいスポーツ

バスケットボールは明確な生みの親が存在する珍しいスポーツと言われています。競技の誕生を知るには、30歳にしてバスケットボールを考案したジェームス・ネイスミスを知る必要があるでしょう。

ネイスミス家はジェームス誕生の前にスコットランドからカナダ・オタワに移住、ジェームスは1861年同地で生まれました。その後幼くして両親を失うと兄弟達は叔父に引き取られ、高校時代には一時休学して叔父の農作業を手伝っていたと言われています。この頃にジェームスは職業として牧師を志す事を決意。後にモントリオールの大学に入学を果たします。

当時の学生にはラグビー、サッカー、ラクロス、フットボールなどと言った屋外で行う接触の多いスポーツが好まれていたようで、ジェームスもスポーツの魅力に引き込まれて行きます。しかし、当時は『牧師が身体に傷を付ける行いは牧師の道に反する』という考え方が根強く、ジェームスは葛藤。進路について迷っている時、ジェームスはある出会いからマサチューセッツ・スプリングフィールドに1885年に新設されたYMCAスタッフ育成学校、現在のスプリングフィールド大学に行く事を進められます。

YMCA(キリスト教青年会)は当時からスポーツを容認しており、1891年ジェームスは体育教師として赴任。この冬、元気溢れる学生達が室内体育館でも出来るスポーツはないかと、同年12月に13条のBasket Ball原案をまとめるに至りました。これがバスケットボールの誕生です。
 

BasketballはBasket Ballだった

バスケットボール誕生当時、人気スポーツはどれも激しいコンタクトを伴うものばかり。さらに体育館では器械体操を行うのが通常で、現在のような広い体育館はありませんでした。体操を行う用具や、体育館の真ん中に天井を支える柱が立っていたりするところもあったと言われます。

危険を回避する意味からも13条の原案では接触を禁止、またボールを持って走る事も禁止しました。体育館の両端10フィート(3m5cm)に桃の籠を釘で打ち付け、最初の試合は9対9に分かれた18人が”サッカーボール”をパスでつなぎ、頭上の桃の籠に投げ入れ得点を競いました。この最初の試合には石川源三郎という日本人も参加しています。

ジェームスが考案した事から自身の名前をスポーツの名前にしてはどうかと進言を受けましたが、本人はこれを好まずゴールに見立てた籠からバスケットボールと命名。日本で籠球と表記される事があるのはこのためです。

この後YMCAの機関誌によってバスケットボールは全米に広まるとともに、ジェームス・ネイスミスは1898年にカンザス大学に移り、現在も”ジェイホークス”の愛称のもと親しまれるバスケットボールチームを率いてバスケットボールの発展にさらに貢献していく事となります。
 

変わらないものもあれば、変わるものもある

曲線を描いてボールを投げ入れるバスケットボールのアイディアは、ジェームスが子供の頃に楽しんだ、大きな岩の上にのせた石を別の石を使って当てる遊びから得られており、ゴールが籠からリングに変わった現在も設置高さ10フィート(3m5cm)は変わりありません。リングの内径18インチ(46cm)も籠を使用した当時と全く同じ。このリングは今でもバスケットとしばしば表現されます。

変わらないものがある一方で、バスケットボールは非常に繊細な気配りをしながら発展してきたと言われます。

最初は底の付いた桃の籠だったので、どちらかのチームが得点すると梯子に登ってボールを確保、ジャンプボールと呼ばれるセンタートスで試合が再開されていました。これは後に底を無くすばかりでなく鉄製のリングに網を付けた形に変化。得点後の再開もスローインとなって試合のスピードアップがなされました。

全米に広まっていく中で、実際に競技するだけでなく“観る”スポーツとしても人気を博したバスケットボール。元々はアウト・オブ・バウンズ(場外)という概念がなく、どこまでもボールを追って先に確保したチームの保持権が認められていました。

この白熱したボールの奪い合いが観戦する楽しみのひとつでもあったのですが、観覧席などが設けられるようになると、選手が観客に突っ込む事がしばしば。そこでコートは観客、選手を保護する意図で網やネットで囲われ、バスケットボールは『ケージゲーム』、プレーヤーは『ケージャー(檻の中の人)』という異名を持つようにもなりました。

同様にリングの裏に取り付けられたバックボードやコートも時代と共に変化、ルールも改善が進みます。ドリブルが認められ、24秒以内にシュートを打たなければならない24秒シュートクロック、3ポイントラインが導入されるなどその数は数えきれません。

あとひとつ、面白い事例として紹介できるのは13条の原案には競技人数の規定がなかったため、かつて50対50合計100人で試合が行われたという記録も残っています。
 

世界でも最も人気のあるスポーツのひとつに

バスケットボールの誕生から時は流れ、男子は1936年のベルリン、女子は1976年のモントリオール五輪で正式競技に。さらに1992年のバルセロナ五輪では初めてプロ選手の参加が認められ、マイケル・ジョーダンに代表されるNBAのスタープレーヤーが列挙するアメリカ代表は圧倒的な力を見せつけ世界中を魅了。バスケットボールの国際化は加速、バスケットボールは世界中の人々が楽しむスポーツとして発展を続けています。

バスケットボールはその発展の中で、調整を繰り返しながらも1891年にジェームス・ネイスミスが考案した13条の原案はほぼその形をとどめております。
バスケットボール生誕の地である、マサチューセッツ州スプリングフィールドには『ネイスミス記念バスケットボールの殿堂』がありそのレガシー(遺産)は今も受け継がれています。

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