時代も国境も関係ない世界観で生きてほしい
10歳になる小学4年生で「1/2成人式」をやる学校も多いようですね。いいネーミングだと思います。ちょうど前思春期にさしかかる時期。小学校の中ではちょうど中だるみになる時期。昔から「9つまでは膝の上」とも言いますし。一方で、「今まで育ててくれた親に感謝しましょう」的な内容が多いので、多様な家庭環境を勘案して、賛否あるようです。それに、「もう1/2成人なんだから、親に感謝しなさい」というのも、ちょっと押し付け感があります。というわけで、「1/2成人式」というのは一度置いておきましょう。
ここでは純粋に、10歳になった息子に、父親として伝えたいことを述べたいと思います。それこそ人それぞれさまざまなメッセージがあるでしょう。あくまでも私の場合です。
私はわが子が10歳になったらアフリカに連れて行こうと決めていました。広大なサバンナの真ん中で、「これが地球だ。忘れるな」と伝えることが目標でした。実はこれ、学生のころから決めていました。自分に子供ができたなら、10歳でアフリカに連れて行こうと。
教育学の授業か何かで、俗説として、「人間は10歳のタイミングでどんな社会に属していたかが、アイデンティティ形成に大きく影響する」というようなことを聞きました。
そのとき、わが子にどんなアイデンティティをもってほしいか、学生ながらに考えました。そして、「時代も国境も関係ない世界観で生きてほしい」と思いました。これが、親になる前からもともともっていた「10歳になった息子に伝えたいたった一つのこと」です。伝えたいことというよりは“願い”ですね。
人類発祥の地。何万年もほとんど変わらない世界、アフリカのサバンナ
とうとう言った。「これが地球だ。忘れるな」
話せば長くなるので、端折ります。(知りたい人はこちらのブログでも参照してください。)とにかく、私たち親子は、アフリカのサバンナに立ちました。男2人旅でした。実は私にとっても初アフリカでした。そしてとうとう言います。「これが地球だ。忘れるな」。
なぜアフリカに連れてこようと思ったのかは、話しませんでした。その代わり、こう言いました。「ここで生きて行ければ、世界中どこに行っても生きていける。実際キミは、こういうところで生きていくわけではないだろう。でも、どんなときでも、『今、自分はアフリカのサバンナで生きていく力をもっているか?』を考えなさい」。
でもまあ、普通に考えて、生きていけませんよ。サバンナの真ん中で一人残されたら。そこで聞いてみました。
パパ 「もしここで、パパが死んじゃって、一人で日本まで帰らなければいけなくなったらどうする?」
息子 「ジェームスさん(ガイドさん)にお願いして、助けてもらう」
パパ 「そうだな。それからどうする?」
息子 「えーと、ママに連絡を取ったり、飛行機に乗って日本に帰ったり」
パパ 「そうだ。もうキミは10歳。今ここで、パパが死んじゃっても、きっと一人で日本まで帰ることができる。ただし、勘違いしないでほしい。それは完全に一人で海を泳いで渡って帰るということじゃない。ジェームスさんや、大使館の人や、航空会社の人など、いろんな人の助けを借りて、やっと帰ることができるんだ」
大切なのは、「人に頼れる力」
息子は納得したようにうなずいてくれました。そこでもう一つ聞いてみました。パパ 「じゃ、ジェームスさんもいないとしたら? 本当にこのサバンナの真ん中に、キミ一人取り残されてしまったら?」
息子 「そんなの無理だよ!」
パパ 「そうだな。そんな状況で生き残るのはとても難しいな。でも実際そうなっちゃったら、まずどうしようと思う?」
息子 「マサイ族を探して、助けてもらう……」
パパ 「そうだ。ここで生きていく力と知恵をもっている人に頼ることがいちばんだな。いいぞ!」
うれしかった。いちばん伝えたいことはこれでした。時代も国境も関係なく、どんな世の中になっても生きていくための力をもってほしい。そしてそれはすでにキミの中にある。それに気づいてほしかった。
本当に強い人は、自分にできないことは素直に人に頼ることができる
もちろん、ただ人を頼るだけではだめ。いざというときに助けてもらえるためには、普段から人を助けられる人にならなきゃいけない。サファリ仕様の4WDに揺られて、そんな話をしました。
それから2年半後。わりと最近。家族で外食したときに、ふとしたことから「生きる力」が話題になりました。そこで私は息子に聞いてみました。
パパ 「生きる力ってどんな力だと思う?」
息子 「うーん、状況によって違うと思うけど、完全にひとりぼっちじゃなくて、まわりに人がいるならば、人に頼れることじゃない?」
パパ 「正解!」
うれしかった。10歳のときに伝えたことをそのまま思い出したわけではないだろうけど、そのことが彼の感覚の中に染み込んでいてくれたのだと思います。それさえわかってもらえているなら、もういつ死んでも安心だなんて、勝手なことも思いました。
いざ思春期の荒波へ!
ちなみに、10歳の男2人旅には思わぬ副作用もありました。小学校高学年にもなると、だんだんと息子との心理的距離が開いてきます。さみしいけれど、しかたがない。それが思春期の到来というものです。それが成長というものです。
でも、「俺はコイツとアフリカに行ったんだ。サバンナの真ん中で、二人並んで立ち小便したんだ(良い子はまねをしないように)!」という“誇り”は色あせません。成長して生意気になっていく息子を見るたびに、その“誇り”は、私の中でますます気高くなっていきます。
息子より3つ年下の娘は、私にとって、“宝物”。娘の存在そのものが“宝物”。まだ親子関係の癒着があります。娘は私の所有物ではないことは百も承知ですが、どうしてもそういう感覚から抜け出せていません。
しかし、息子に関しては、一緒に行ったアフリカの思い出、そしてそこで感じた父親としての“誇り”こそが“宝物”。その“宝物”さえあれば、息子がどんなに遠くに行ってしまってもさみしくない。私自身、いつの間にか、そう思えるようになっていました。
これから息子は本格的に思春期を迎えます。反抗期もやってくるはず。ますます親子の距離は広がるでしょう。でも、それを受け入れる心の準備は万端です。
10歳というタイミングで、父親と息子の二人だけで、ちょっと強烈な思い出を作っておくと、その後の思春期を迎えるにあたって、ひょっとしたらいいことがあるかもしれません。
でも、これ、あくまでも私の場合です。
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