1:回想シーンに無理がありすぎて気になる
2時間ドラマによく見るケースです。例えば、容疑者の過去を探るため、容疑者が育った田舎を訪ねて中学校あたりで卒業アルバムを見ていると回想シーンが始まります。問題なのは回想シーンを演じる人。まさかのご本人が中学生を演じることがあります。カツラを被っての制服姿、気になります。また、生まれたばかりの赤ちゃんをあやす若かりし母親や三つ編み姿のときめく恋愛風景をご本人が演じることもあります。画面がモヤモヤしてなんだか幻想的になっていても、「なんだかなあ」は払拭できません。もちろんさすがの演技力を堪能できることもありますが、「……」となんだか空虚な気持ちに襲われ、切ないはずの過去の風景が一気に色を変えてしまいます。
2:スペシャリストに見えなくて気になる
歌がうまくないカリスマロックシンガー。姿勢が悪いバレエダンサー。手先が不器用なお料理教室の先生。硬直しているピアニスト。日舞になっていない芸者。しかし、彼らはなぜかカリスマシンガー、カリスマピアニストなど世間から絶賛させる存在として登場してしまいます。確かにストーリーを左右する深刻な問題ではありませんが、その”うまくない感じ”が気になって、感情移入できなくなってしまいます。また、できるビジネスパーソンという設定でパソコンのタイビングがえらく遅かったり、五本の指が動かないかんじに、話が違うぞと感じることもあります。男女限らず、気になります。どうやって資料を作成したのか不思議な気持ちがいっぱいになり、彼らのプレゼンに集中できなくなってしまいます。
3:お互い向き合わずに会話していて気になる
もちろん登場人物がカメラに向くためですが、その代表が、『相棒』です。杉下右京(水谷豊)と甲斐亨(成宮寛貴)、時々角田課長(山西惇)とか容疑者を加えて、それぞれがお互いを見ることなくこちらを見て話します。家族の食卓、特に卓袱台の場合は一辺だけ誰も座っていないことが多く(ここもカメラの位置ですが)、なかなかの複雑な姿勢であっても、会話はちゃんと弾みます。その不思議な座り方が日常となっているからでしょう。ある意味すごいことです。