シュロの足拭きマットから生まれたデザイン
「亀の子束子」(かめのこたわし)の誕生は明治時代です。もっと昔からあるもののような気もしますが、それまでの日本人はシュロを束ねたものや布巾(ふきん)でいろいろなものを洗っていました。かまどで汚れたものは竹を細かく割った「ササラ」や、荒縄を束ねたものを使っていました。これらを総称して「たわし」と呼ばれていたそうです。明治時代の中ごろのお話です。東京本郷真砂町(いまの東京都文京区小石川)で西尾正左衛門さんという人が文明開化の流れのなかで洋風の足拭きマットをつくって販売していました。だけど売れ行きが芳しくない。売れ残りのマットの山を前に正左衛門さんは途方にくれていました。「なにか新しいものを考えなくては……」
そんなある日、正左衛門さんの妻、やすさんが売れ残りのマットの部品を折り曲げて障子を掃除しているのを見て正左衛門さんは「これだ。これを商品化すれば、ぜったい売れる」と確信します。そして女性の手でも使いやすい形や大きさなどの検討を重ね、明治40年に特許をとり「亀の子束子」は、新しい洗い方を提案するプロダクト・デザインとしてデビューしました。
縁起のいい亀を名に冠した「亀の子束子」は、あっという間に生活必需品の仲間入りをします。日本の台所仕事の手間を変えて手間を大幅に低減した「亀の子束子」。この開発のプログラムは、いまの商品開発にも生かせるたくさんの示唆に富んでいます。
パッケージの裏面の表示。明治期はシュロでしたが現在は「パーム」(ココナッツ椰子)の繊維が使われています。シュロも椰子の一種ですが、いまは安定供給できるパームになりました。材料は「パーム繊維と針金の2種類だけ」、という潔さ!
戦後誕生したスポンジたわし。「へちまたわし」も人気!
「亀の子束子」タイプとならんで、いまのほとんどの家庭のキッチンのシンク廻りには、食器洗い用のスポンジが置いてあるのでは? 一般に「スポンジたわし」と呼ばれたりしていますが、これは、ほとんど発泡ポリウレタン(建材としては断熱材、そして椅子の中綿としても使われています)をそのままカットしただけのも。泡立ちが良くて食器も傷つけないので便利ですよね。
素材は発泡ポリウレタンそのものと簡単なものなので100円ショップなどでは、かなりの量が入ったものが売られています。ですが「ブランド」として有名なのはアメリカの3M製の「スコッチブライト」や、和歌山県に本社のあるキクロンの、たわしの革命児こと「キクロンA」。
上はキクロンAとスコッチブライトのパッケージ。キャラクターの女性がジャパニーズ昭和とアメリカン・ポップなイラストで大きな違いがあり興味深いですね。下はスポンジ部のディテールの違い。左がキクロンAで独特の凸凹の形状が特徴です。
キクロンAのパッケージは、がんばってアメリカンな暮らしを目指した高度成長期の「昭和の文化住宅」を連想させるもので、イイ味を出しています。なによりパッケージのグラフィックをいまでも一切、変更していないところに「革命児」の心意気すら感じます。
ポップアートのような、キクロンパッケージのご婦人。Tシャツにプリントしたくなるような、なんともいえない魅力があるイラストレーションです。背景のキッチンに注目すると食器などにミッドセンチュリーな味わいも?
へちまたわし。もともとはインド原産の植物で江戸時代ころ日本に上陸したといわれています。へちまたわしは昔から静岡県などで製造されていましたが、今では自作する人が増えています。南九州や南西諸島では食用として知られています。沖縄料理のナーベラーチャンプルーなどで知られる「ナーベラー(へちま)」は、へちまの繊維で「鍋あらい」するが語源との説も……。
「亀の子束子」本店の洋風建築も見もの!
ここまで「亀の子束子」を中心に食器洗いの道具=「たわし」を見てきました。「亀の子束子」を販売製造する株式会社亀の子束子西尾商店の本店は、現在、東京都北区滝野川にあります。1階には「亀の子束子」以外に、さまざまなタイプの「束子」が並んでいます。
1922年竣工の亀の子束子西尾商店・本店。関東大震災も戦災も免れた貴重な建物です。左に束子の原材料だったシュロの木が植えられています。撮影した日は日曜日だったので直営店は休業で残念! 1階のショップに行くときは事前に営業日、開店時間を確認してくださいね。
最近、人気の谷中にも亀の子束子西尾商店直営のアンテナショップがオープンしました。いわゆる谷根千(やねせん)エリアをお散歩するときは、ぜひ立ち寄ってみてください。ネット販売もおこなっていて「亀の子」だけでなく、さまざまなラインアップがあるので要チェックです。