新宿 花園神社にある歌碑は

今年4月某日の丑三つ時……僕は前任の編集者、太田さんと二人で新宿の街を飲み歩いていた。

肩を組んでいたかどうかは定かでないが
「あと一軒、あと一軒」
と楽しい話を酌み交わすうちになんだか帰りたくなくなってしまったのだ。

すでに視界はグルグル、足元フラフラにも関わらず。

ゴールデン街から新宿二丁目のロック・バー『d.m.x.』に向かう途中のことだった。
「中将さんに紹介したい場所があったんです」という声に誘われるがまま足を踏み入れた神社の境内。

太田さんの指差すほうを見ると、こじんまりとした石碑があった。

題字は『圭子の夢は夜ひらく』。
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時代を反映した″暗い″ヒット曲

「十五 十六 十七と 私の人生暗かった」

混沌とした時代を反映したかのような救いようのない歌詞が大衆の心に響いたのだろうか。1970年のオリコンランキング年間3位を記録した大ヒット曲だ。
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歌ったのは藤圭子さん。若い方には“宇多田ヒカルのお母さん”と言った方がピンとくるかもしれない。僕とて1984年生まれなので後追いには違いないのだが、お世話になった先輩たちからその名を聞くことは多かった。

まず一人はグループサウンズ・リンド&リンダースの故・加賀テツヤさん。

加賀さんと藤さんは東京の芸能界でデビューした時期が近く、またお互いに洋楽ロックが好きなこともあって意気投合し、当時よく遊んでいたそうだ。

そしてもう一人は1970年代、いくつかのロックバンドで活躍した……いや、やっぱりこの人のことを書くのはやめておこう。

ご本人が存命だし、なにより多方面に大きな衝撃と迷惑をかけかねない。藤さんがお亡くなりになった今、検証もできない無責任なことを書くのはあまりに気が引けると言うもの。


日本のレア・グルーヴとして

ではでは、話をシフト・チェンジして……

先に藤さんが洋楽ロックを愛好していたことに触れた。彼女は自らの嗜好とはかけ離れた怨み節の演歌で売れてしまったことに大きな違和感を持っていたらしい。

しかし、今あらためて聴くと彼女の音楽からはなんともロックな何かを感じる。サウンドやリズムでは表現できない“スピリット”とでも言えばよいだろうか。

今後、リアルタイムで藤圭子の音楽に触れた世代が少なくなるにつれ、『圭子の夢は夜ひらく』は演歌のくびきから解き放たれ、日本のレア・グルーヴとして評価されてゆくことだろう。いや、すでにその節はある。

なぜに藤さんが自ら命を絶ってしまったか知る由もないが、彼女がそのことに気付いていれば少しは気も軽くなっていたかもしれない。残念なことだ。

その後、『d.m.x.』にたどりついた僕たちはさらに杯を重ねた。藤さんが愛したかもしれない、往年のロックの名曲たちを大音量で浴びながら。


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