「モンスター隣人」から身を守るには
みんながのびのびと暮らすために
1. それだけ教育や子育てが普遍的な話題、関心だから
2.大して(または全然)興味はないが、視野に入ってくるから
のどちらかであり、またどちらでもある。
1は上手く利用しつつ、より実りある社会的議論醸成の役に立て、いずれは非子育て層にも社会分業の協力を取り付ける動きへと結びつけばそれでいい。しかし2は「視野に入ってくる」こと、プライバシーゾーンを侵されたと相手が思うことが原因だから、物理的に距離をおくほかない。また「子育てなんて他人事」と当事者意識を持たないという点で、あえて言うならば純粋な2のタイプこそが「モンスター隣人」と呼んでもいいものだろう。
でも、そういう隣人をただ恐れたり疎んじたりするのではなく、そのクレームを発するに及んだ背景を考えてみたい。近隣問題の多くはお互いを知らないことによって、被害者意識や妄想に近い想像から深刻化することも多く、普段から必要量のコニュニケーションを取ること、少なくとも顔を合わせて挨拶することでお互いが「隣の気に入らないあいつ」ではなく「お隣に住む○○さん」と認識することが大切だ。
また、保育所や学校は「騒音」が期間限定でないことが問題となるが、個人家庭の子育てで起こる「騒音」は期間限定のものなのだから、その間は意識的に近隣へ「ご迷惑をおかけしております」と一声かけておけば、感情的にはかなりの効果がある。それでも執拗にクレームが上がるようなら、その場所はあなたの子育てには向いていないということだから、切り替えて別の場所へ移動したほうが今後の子育てもストレスがなくなり、子どものためにもずっといいのではないだろうか。
暮らしの快適さは人によって基準が違うから、摩擦が起きた時には「摩擦を減らす方法」を試み、それがダメなら「摩擦の場から去る自由」を手にして、できれば軽やかに子どもを育てたいものだ。