「子どもの声も騒音」モンスター隣人(?)登場
子どもは楽しく走り回るのが当たり前、でも……
ほどなく都議会でも神戸の事例を受けて子どもの声を騒音規制するかどうかの議論が始まり、東京での騒音規制が全国他道府県へ持つ影響力を考えるに、日本という国は子育てのしにくい国なのだ、「世も末」だと議論は湧いた。
しかし一方で不動産業者や保育・教育関係者が指摘するように、保育園や学校は地域コミュニティで「騒音迷惑物件」扱いされることが多く、保育者や教員は常に近隣からのクレーム対処に神経を使い、例えば隣が学校であることで近隣の新築マンション物件の価格にも影響するケースがあるのは、事実である。
「子どもの声を騒音と言うなんて、了見が狭い」
「住みづらい世の中。そんな国で子どもが増えるはずがない」
という声があるのはもっともだが、いずれにしても、子どもはどうしたって嬌声を上げて走り回るのが大好きで、それをうるさく思う大人がいるのも仕方ない。では、子育て中の親としてはどうやって、そんなモンスター隣人からの苦情や攻撃を防げばいいのだろう?
「嫌子化」は先進国の当然の帰結?
先進国は少子化が進めば、「嫌子化」も?
2年ほど前に話題になったのは、エア・アジアという航空会社で導入された「クワイエット・ゾーン」制度だった。クワイエット・ゾーンという、子どもが入れない別料金の席をとることで、客は子どもの声にわずらわされない自由を手に入れる。旅行情報サイトで行われたアンケートによれば、イギリス人の3分の1が「追加料金を払ってでも子供の近くに座りたくない」と投票しており、別の調査でも、53%が子ども禁止ゾーンを支持していたというから、サービスとしてはしっかりとニーズがあり、根拠があるのだ。
社会として伝統的に静寂を好むか否かに関わらず、ヨーロッパ社会であれアジア社会であれ、都市化や人口密集の局面を迎えた先進国では、少子化から派生する「嫌子化」の流れが現れてもまったく不思議ではない。さまざまな背景や文化を持つ人間が密集して生活する社会では、お互いの快適や利益を調整するためにルールが必要となってくるからだ。田舎の道の駅のトイレに入る客はまばらだから好きに入ってもトラブルは起こらないが、都心の混雑したファストフード店ではフォーク状に整列することが要求されるわけである。
トイレやファストフード店どころか、まして生活騒音ともなると、同じライフスタイルを共有しないもの同士の利害は対立することの方が多い。例えば赤ちゃんがようやく寝付いたとホッと胸を撫で下ろした親が、突如始まった通りの大きな工事音にイライラハラハラするように、子どものいない人にとって上階の幼い子どもの足音は「異常」に聞こえるという。普段から子どもが生活の中にいる人にとっては当たり前の、もはや音とも感じないような音が、普段子どもと接しない人にはノイズであり騒音であり、理解されない。したがって「嫌子化」は都市生活の帰結の一つでもあるのだ。