『初恋』
「好きだよと言えずに初恋は……」立呑屋でぼんやりテレビを観ていたら、村下孝蔵のヒット曲『初恋 』(1983年)について扱った番組が始まった。
村下の故郷や旧友をたずね、この曲がどのような背景で生まれたか解き明かしていくという内容だった。
僕も村下の作品はいくつか持っていてカラオケでよく歌った時期もあったので興味深く観ていたのだが、ふと気がつけば店内にいた十数人の、おそらく50代、60代の男性客がみな一様にテレビ画面のとりこになっていた。
ゆがんだ童貞たちのレクイエム
かの文豪、三島由紀夫は著作『不道徳教育講座』(1959年、1960年)で「そもそも男の人生にとって大きな悲劇は、女性というものを誤解することである。童貞を早く捨てれば捨てるほど、女性というものに関する誤解から、それだけ早く目ざめることができる。男にとってはこれが人生観の確立の第一歩であって、これをなおざりにして作られた人生観は、後年までもユガミを残すのであります」
と唱えているが僕としてもまったく同意見。
童貞はゆがんでいる。「遠くで僕はいつでも君を探してた」
「愛という字書いてみては ふるえてたあの頃」
『初恋』の歌詞は一般的に美しい、淡い青春の思い出というようなイメージで捉えられているが、冷静に文字だけを追うとなんとも童貞臭いゆがんだ妄想性を秘めている。
世の男性が『初恋』に共感するのはこのあたりではないだろうか。
好きな相手に想いを打ち明けられないまま鬱々と、悶々と、いたずらに時を過ごした記憶。
思春期のドロドロした感情を美化して、なんとも清らかの歌い上げる村下はイケてない元・少年たちのヒーローなのだ。