3Dプリンティング技術は日本人の発明だった
余談だが、実は3Dプリンティング技術は日本人の発明であった。『1980年2月。名古屋市工業研究所に勤務していた小玉秀男(64)が、後に3Dプリンターの技術につながるヒントを、新聞の印刷プロセスで得た。
ガラス板の台座に液体樹脂が塗られ、樹脂は光が当たった部分だけが固まる性質があり、洗い流すと固まった部分だけが盛り上がった。文字の形に光をあてると、その部分だけが盛り上がってハンコのようになり、そこにインクをつけて新聞を刷る。
この工程を繰り返して樹脂を重ねれば、立体物が作れるはずだと、小玉は手のひらに乗る大きさの2階建ての家をつくった。厚さ2ミリの層を27枚重ねた家は、細かい間取りやらせん階段、食卓まで作り込まれていた。
小玉は自力で特許は申請し、論文を書いて日本と海外で発表し、アイデアを公開したが、反響は芳しくなく、意気消沈。特許を得るには申請後に「審査請求」をする必要があるが、その手続きをしなかった。
ところが、95年、3Dプリンターの基礎技術を世界で初めて発表したことが評価され、小玉は英国の民間財団が優れた発明に贈る「ランク賞」を受賞。この時の共同受賞者が米国のチャールズ・ハル。小玉に遅れること4年、84年に特許出願し、3DSystems(システムズ)というベンチャーを起業していた。』(引用:朝日新聞デジタル版 2014年9月15日)
様々な分野で実現する3Dプリンティング
セミナーでは、3D Systems 社CEO 、Avi Reichental氏の基調講演の映像を投影し「3Dプリンティングの現状と今後」と話は進んだ。要約すると、広域にそれもスピディーに浸透している3Dプリント、特にアメリカが、進んでいる。
製造業を中心に、工業製品、医療、ケア、建築、教育、先端研究など幅広い分野で復旧している。
医療・ヘルスケア分野ではコンピュータ断層撮影いわゆるCTスキャンなどのデータを元にした「術前検討用モデル」、身障者用のプロダクト。
歯科技術も進み、インプラント分野では特に進んでいる。
製造分野では、製品や部品などの「デザイン検討」「機能検証」などの試作やモックアップ、とくに車は群を抜いている。
フアッション・ジュリー分野でも興味深いデザインプロダクトが進んでいる。
3Dプリンターならではの形状や構造が興味深い。
構造と言えば、建築や家具デザインの分野もすでに始まっている。