お化け地蔵に妙亀塚
お次は「松吟寺(しょうぎんじ)」のお化け地蔵を探そう。あったあった。大きなお地蔵さんがそうだ。なぜ「お化け地蔵」と呼ばれるようになったのかは諸説あるようだ。かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたからだというもの、高さが3m余りの並外れて大きいからなどの説だ。関東大震災で2つに折れたが、補修して現在に至っているそうだ。さて次は「妙亀塚(みょうきづか)」。
台東区による説明板があった。それによれば、この妙亀塚のある地は、かって浅芽ヶ原と呼ばれた原野で、近くを奥州街道が通っていた。妙亀塚は、「梅若伝説」にちなんだ名称。
「梅若伝説」とは平安時代に吉田小将惟房の子梅若が、信夫藤太という人買にさらわれ、奥州につれて行かれる途中で、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。我が子を探し求めて、この地まできた母親は、隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵をむすんだ、という説話である。謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしている。