投手として10勝、打者として10本塁打は通過点
150年に及ぶ大リーグの歴史の中でも、同一シーズンに“2ケタ勝利&2ケタ本塁打”を記録したのはルースのみ。大谷はそれに並んだのだ。
このシーズンは、投手として20試合に登板(18試合で完投)し、13勝7敗。打っては95試合の出場(登板時を含む)で、自身初の2ケタとなる11本を放って初の本塁打王に輝いた。ルースの“二刀流”は、この年と翌1919年(9勝、29本塁打)の2年間だけで、1920年にヤンキースへ移籍してからは野手に専念し、当時大リーグ歴代最多(現在3位)の通算714本塁打を残している。
もうおわかりのように、150年に及ぶ大リーグの歴史の中でも、同一シーズンに“2ケタ勝利&2ケタ本塁打”を記録したのは、1918年のルースしかいない。その記録に96年ぶりに並んだ初めての日本人が、日本ハムの大谷翔平投手(20)なのだ。
新たな伝説を作ったのは9月7日、京セラドーム大阪で行われたオリックス戦の四回だった。吉田一の141キロ真ん中高めストレートに対して、振り抜いたバットが背中にぶつかるほどのフルスイングをした大谷の打球は、弾丸ライナーでプロ入り初となるバックスクリーンへ今季10号となって消えた。「打った瞬間は弾道が低かったので、入るかどうかわからなかった。思ったよりも伸びてくれました。しっかりととらえたのがよかったです」。投手として8月26日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で10勝目を挙げているため、日本球界初の2ケタ勝利&2ケタ本塁打を記録したというのに、大谷はいつもように淡々と振り返る。大リーグを見渡して1918年のベーブ・ルース以来96年ぶりの快挙と知っても「ベーブ・ルースの映画を見たことはあるが、記録のことは気にしていなかった。他の打席でも打てそうな球があったし、(本塁打したことより)ミスショットの方が気になる」と課題を口にするあたり、末恐ろしい20歳と言わざるを得ない。
栗山監督は「まだ10本か……。本音をいえば、別にやっていることは大したことない。もともと持っているものが出ている中で、やることと努力して積み上げてきたものは違う。高卒2年目とか何歳とか、そこであいつをみようというのは大間違い。当たり前に出ないといけない数字」という。投手として10勝、打者として10本塁打は、大谷にしてみれば通過点であり、まだまだ上を目指せる、いや、目指さなければいけないと言っているのだ。
“野球の神様”に96年ぶりに並んだプロ2年目の大谷。「投手に専念した方が」という一部の声を自らのバットで封じ込め、“二刀流”を当然のスタイルへと変えていく。