挑戦を続けるベテランが、つぎに目指すものとは
日米通算2500安打は、イチロー、松井秀喜に続く史上3人目の大記録だ。
日米通算21年目で2500回目の快音を響かせたのは、一回先頭の第1打席、吉田一の初球だった。144キロの真ん中低めストレートを中前へジャストミート。「1打席目で打てるとは思わなかった。監督さんを始め、これまで支えてくれた関係者の方々に感謝しています。これだけ長く野球をやらせてもらって幸せです」。とくにモチベーションが上がるという地元・大阪で達成できたことは喜びもひとしおで、その後も本塁打を含む計3安打4打点をマークし、スタンドからの声援に応えた。
かつては日本を代表する遊撃手だった松井稼だが、若手の台頭もあり、今季は遊撃から三塁、そして3試合前からプロ初の外野守備となる左翼を守るようになった。「この年で新しいことに挑戦できるのは幸せ」と言うが、この男ほど“挑戦”の2文字が似合う選手はいない。
西武に入ってのプロ2年目に、出場機会を増やすためにスイッチヒッターにチャレンジした。当時の東尾修監督の勧めもあったが、慣れない左をものにするための素振りの数は半端ではなかった。肩やヒジへの負担を減らすためにスナップスローに取り組んだ。メジャーへは「自分がどこまで通用するか」の挑戦だった。「イチローのスピードを持ち、松井秀のパワーを持つ」といわれ、鳴り物入りでメッツに入団したが、いきなり遊撃手失格の烙印を押された。メジャー1年目のオフに遊撃とは全く逆の動きをする二塁へのコンバートは、もちろん挑戦だった。トレードで放出されたロッキーズでは、初めてその日の課題をノートに書き、それに取り組むことで自分を取り戻し、メジャーでの成功に結び付けた。現在、楽天では左翼手へ挑戦しているが、目標は「40歳になっても遊撃を守れること」という。体を鍛え、体脂肪率を10%以下にキープしている松井稼ならやってくれるだろう。
「年々、自分の年齢は意識しますよ。高卒とは20歳も違う。子供でもおかしくない年の差だもの」と笑うが、その裏にあるのは“まだまだ若いもんには負けん”という気持ち。また、「記録はシーズン後に振り返るもの。今年は1本でも多くヒットを積み重ねたい」とも言う。今年10月で39歳となる松井稼は、まだまだ野球小僧であり続ける。