「非日常のセックス」では夫婦関係は深まらない
安心と癒しを感じるセックスをしていますか?
若いころのセックスはほとんど「非日常のセックス」です。「セックスってどんな体験なんだろう?」というところからはじまり、「この子、ベッドの中ではどんなになっちゃうんだろう」という好奇心、AVを見てちょっとアブノーマルなプレイもしてみたいと興味が湧く感覚……。セックスという行為自体を求めます。たとえるならば、新しいおもちゃやゲームで遊んでみたいと思う、新鮮さを求める気持ちです。ときどきエスニック料理が食べたくなるような感覚です。
「非日常のセックス」しか知らないと、常に新しいものがほしくなります。もっと強い刺激を求めるようになります。そっちのほうに興味が湧いてしまったら、当然常に手元にある「日常のセックス」には興味を示さなくなります。非日常を求めるのであれば、それこそほかの若い女性を口説いているほうが男性としては楽しいのです。結局ゴールインできなかったとしても、非日常を追い求める過程自体が楽しいのです。男ってそういうバカな生き物ですから。
二人の歴史がセックスの“うまみ”になる
一方、「日常のセックス」とは、安心と癒しを感じられるセックスです。すべてをさらけだしてもすべてを受け入れてくれるという安心感の上に成り立つセックスです。あまり綺麗なたとえが思いつかないのですが、語弊を恐れずいえば、「するめ」や「なめし革」のようなセックスです。「噛めば噛むほど味が出る」「使い込むほど手触りが良くなる」みたいな意味です。これが、夫婦が目指すべき「日常のセックス」です。セックスという行為自体を求めるのではなく、体中で、他の誰でもない結婚相手こそを感じたいという欲求です。テクニックよりも思いやりが、新鮮さよりも二人の歴史が、セックスの悦びを高めてくれます。この感覚に達することができるかどうか。それが年をおうごとに、夫婦のセックスが廃れていくか進化していくかの分かれ目です。夫婦になれば相手の嫌なところも見えてきます。でも、結婚相手は、地球上にいる35億人の異性の中から、たったひとり、自分のすべてを受け入れると約束してくれた、老いても病んでも逃げないと約束してくれた、奇跡のような相手です。嫌なところも含めて、結婚相手のすべてを受け入れようという覚悟が本当にできたとき、夫婦は本当に“掛け替えの無い”関係になれるのです。お互いをさらけ出し、ときには傷つけ合い、それでもお互いを信じ認め合う。日常生活を通してそういう経験を積み重ねていくことで、“かけがえの無い”関係は構築されます。
そうなると、結婚相手という存在自体を感じる感受性が敏感になります。親密でいられることにこの上ない悦びを感じられるようになります。若いころ情熱的に愛し合った思い出、一緒に子育てした喜び、ちょっとやりすぎちゃった夫婦喧嘩、ちょっぴり増えた贅肉やしわ、病気やケガの心配……すべてのことがセックスの味わいを増す“うまみ”となります。セックスが、二人の人生の“うまみ”を溶け込ませて、お互いの人生をより味わい深くする営みとなります。「非日常のセックス」では絶対に到達できない極みが見えてきます。
人間的に成長すればセックスはますます楽しい
そういう思いで、相手に触れれば、137億年の宇宙の歴史の中で、地球上70億人の人間の中で、巡り会えた奇跡に感謝せずにはいられなくなるはずです。その文脈を理解したとき、結婚相手とのセックスが、動物的なものではなく、神聖なものになります。「日常のセックス」が「奇跡のセックス」になります。「奇跡のセックス」に勝るセックスはありません。「非日常のセックス」が、「子どもっぽいセックス」に思えてきます。でも、「本当のセックス」ができるようになるには、本当に時間がかかるのです。セックスの低年齢化が危惧されていますが、そもそも大人の中にも、「本当のセックス」を知っている人が少ないから、社会において、セックスという営みの意味が軽々しく扱われ、それが子どもたちにも伝わっているのではないでしょうか。将来、子どもがセックスに興味をもちだしたときには、こう言えるといいですね。「お父さんとお母さんももう何十年もセックスをしているけど、ようやく最近上手にできるようになってきたばかり。焦らなくたって、人間的に成長すればそのうち素敵なセックスができるようになる」。実際に口に出して言わないまでも、実際に夫婦がそういう関係にあり、そういう気持ちで見守ってあげることができれば、子どもにもそれが伝わると思います。
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