ノー・マネージメントの姿勢
ガイド:今回、インタヴューするにあたり、PGFの公式サイトを拝見しました。このサイトが始まったのは、PGFとしては活動が休止した後の1995年。ご自身で立ち上げたサイトだと推測しますが、ネット上での活動としてはかなり早いですね。僕も自分でサイトを作ったり始めたのはこの時期ですが、まだ少数の限れた人たちが発信する場所という感じでした。nOrikOさんがこういう形で情報を発信しようとした理由は?
the POiSON GiRL FRiEND web site
nOrikO :
それ迄、毎週海外から音楽誌を取り寄せていたのですが、海外の情報が何の苦労もせず、自宅のコンピューターに入ってくるのには大変感動いたしました。そして、情報の発信は誰でも自由にできるというのが最大の魅力でした。第三者を仲介することもなく、リアルな思想を、リアルタイムに発言できるのは、これまでの私のノー・マネージメントの姿勢にぴったりとくるものだと思いました。すぐさまコンピューター誌数冊片手に、HTMLに着手しました。元々、雑誌の編集には興味があったので、自分だけの雑誌を作る感覚で1週間でほぼHPの骨組みを作りました。その当時作ったページもそのまま残しているので、今見るとちょっと時代遅れ的なサイトになってしまってますが、作品として残してある感じです。
PGF再始動のきっかけ
ガイド:同じ時期、同様の経験をしたので、その話、とっても分かります!
その後、Kiss-O-Maticとして90年代後半活動され、長い沈黙を破って、今回の『rondoElectro』となるわけですが、このタイミングでPGFとして再始動された理由は?
rondoElectro (amazon.co.jp)
01. Comme Rêve Sans Trêve
02. Always
03. Rien A Faire
04. 2002 Au Japon
05. Light My Fire
06. Ces Petits Riens
07. Subculture (hyper-rear mix)
08. testype (SMS planet mix)
POiSON GiRL FRiEND's rondoElectro Digest (YouTube)
nOrikO :
2004年に父の入院がきっかけで帰国してから、東京の生活にはすぐに慣れずに、音楽とは離れた生活をしていました。2007年位から、ボチボチとアコースティックのライヴは演っていたのですが、またテクノを演ろうとはその当時は考えていませんでした。2010年頃から復活した六本木のディスコ「ナバーナ」に偶然行く事があり、そこから再び眠っていたクラブミュージック魂が復活したのです。ハゼモトさんとは、ずっと交流があったので、まず真っ先に相談しました。
ハゼモトキヨシさんとタカハシコウジさん
ガイド:今回、ハゼモトキヨシさん(PC-8/Sigh Society)やタカハシコウジさん(タカハシテクトロニクス/PALOMATIC)といった、90年代の日本のテクノ黎明期から活動してきたアーティストも参加しています。彼らのようなアーティストの出現を当時nOrikOさんはどう思いましたか? ハゼモト氏は現在もSigh Society、PC-8(KING OF OPUSの富沢仲さんとのユニット)などで精力的に活動しています。当時の仲間が今なお元気に活動していることも、PGFを再始動させるうえで大きな刺激となったのではないかと思われるのですが。
nOrikO :
ハゼモトさんも、タカハシさんも、90年初頭のクラブで出会いました。踊れるテクノという事で、当時から好きだった英国の808StateやOrbital等を彷彿とさせ、日本にもこういうミュージシャンが現れたか!と嬉しくなりました。ハゼモトさんは、その後94年の『LOVE ME』にも参加していただいているので、かれこれ20年来のおつきあいになりますね。
LOVE ME (amazon.co.jp)