評価付けや格付けはアートも同じ
こういったことは、アート(美術)も同じようなことがあります。例えばゴッホのような有名画家は、生きていた当時ほとんど不遇のまま過ごし、亡くなって何年も経ったあとに作品が高額で取引されたり、美術館に所蔵されることがあるからです。「例えば、陶器の歪みや割れ欠けは、西洋の人たちには『美』と感じられないようです。しかし私たち日本人はそういう部分にも価値を感じてしまいます。西洋の歴史の上にある『アート』の魅力を吸収しながら、一方では東洋の歴史の上に連なる『生活様式の中の美』を愛でる事が出来る。類希な私達の感性を「ものづくり」に発揮する事は、アート(美術)であろうとクラフト(工芸)であろうと重要なことであり、結果として世界から賞賛される作品を生み出す原点となるはずです」。
ジャンルの違い=目的の有無ではない
そうはいっても、アート(美術)とクラフト(工芸)のつくり手には、何か「違い」が無いのでしょうか。
「近代以降、日本でも主に用途の有無によってアート(美術)とクラフト(工芸)が分けられて来ましたが、現代において再びその壁を越えて自由に行き来する作家が出て来ています。そのひとりが金理有(きむ・りゆ)です」。
「彼と私が出会った2007年当時はオブジェしか作っていませんでした。その後、彼はさまざまな活動を経て茶の湯に出会い、アート(美術)とクラフト(工芸)の境界を見定めつつ、茶道具をつくるようになりました。現在ではオブジェでも茶道具でも評価は極めて高く、人気作家となっています」。
もうひとり、茨城県在住の陶芸作家・塩谷良太はイタリア留学を経て変化を見せています。
「塩谷は『西洋のアートだけでなく、日本の歴史の上に自分を置かねばならない』と強く意識し始めました。現代陶芸オブジェの若手有望株として活躍していましたが、今では抹茶碗や酒器など、多様な制作をしています」。
こうして見ていくと、ジャンルにこだわる必要性、理由はありません。自分の目や感性に引っ掛かるものイコール自分の美意識にかなったもの。そう考えると、ジャンルというものが問題にならないと思いました。
関連リンク
今回お話を聞いた石橋圭吾さんが運営する「白白庵」
石橋圭吾主催「天祭 一〇八 ~現代日本ものづくり縁起 in 増上寺~」
(次回は2014年10月末開催予定)
石橋圭吾プロデュース「GALLERY FUNATSURU」