トリオ漫才で一世を風靡
さる5月8日、トリオ漫才で一世を風靡したレツゴー三匹のじゅんこと、逢坂じゅんさん68が歳の若さでこの世を去りました。「半沢直樹」「ごちそうさん」と、人気ドラマへの出演が続いただけに、活躍する姿を若い方もご覧になってるかもしれません。ただ、全盛期のレツゴー三匹の漫才を見た人となると、50代以上の熟年世代に限られてしまいます。そのすごさを説明する映像もほとんど残ってないので、そこをなんとか言葉だけでお分かりいただけるよう頑張ってみます。
センターマイクの前に3人で
古来から伝わる“萬歳”という伝統芸能、それを寄席演芸として改良した“万才”、さらに昭和の初期に枝分かれして生まれたのがエンタツ・アチャコをルーツとする“漫才”です。ご存知のとおりセンターマイクを挟んで2人が掛け合うのが基本形です。それを3人やろうと考えたのが、後に大阪府知事となった横山ノック。彼がリーダーの漫画トリオは、関西ばかりでなく日本中を席巻しました。それもあってか、東京にもトリオの芸人が続出し、人気ユニットも生まれましたが、そのほとんどがコントグループでした。トリオ漫才の流れは東京へはやって来なかったのです。そもそもコントと漫才では、活躍するフィールドが違っていたというのが当時の状況です。
大阪の話に戻りますと、実は漫画トリオ以前から、センターマイクを前に舞台を勤める3人組・タイヘイトリオが幅広い人気を獲得していました。両組の違いは、楽器を持っているかいないか。ギターと三味線で賑やかな舞台を繰り広げたタイヘイトリオは、エンタツ・アチャコ以前の万才からの流れをくんでいるようです。