宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

宝塚歌劇団 戦争からの復活(3ページ目)

わずか16名の少女たちから始まった劇団が、100周年を迎えた奇跡……。様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。そこにいつも あったたくさんの輝石……。宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

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劇場再開へ

1945年(昭和20年)8月、終戦を迎えます。
しかし、宝塚大劇場は米軍に、東京宝塚劇場はGHQに接収され、関係者ですら中に入ることは許されません。
やっと終戦を迎えたのに劇場は戻らない……。結局、東宝系の映画館などで公演を行うしかありませんでした。
少しでも早く劇場の返還を……。関係者の思いは一つでした。全生徒の嘆願書をGHQに提出し陳情したり、進駐軍の慰問公演も行いました。

やがて宝塚大劇場で米軍の慰問公演を行う機会が訪れます。
スターを集めて上演した『春のをどり』。その公演は大成功で、「このように立派なものをやっていたのなら、早く返還してあげるべきだ」という司令官の申請により、前列数列を進駐軍席として残すことを条件に、1946年(昭和21年)2月3日、接収解除の通達が届いたのでした。

宝塚ファンが、スタッフが、そして何より生徒であるタカラジェンヌたちが待ち望んでいた宝塚大劇場の返還。
1946年(昭和21年)4月22日、宝塚大劇場の幕が開きました。再開第一作目は『カルメン』『春のをどり<愛の夢>』。停止命令を受けた際と同じく、春日野八千代率いる雪組による公演。連日大勢の観客が押し寄せました。

多くの生徒が退団し、生徒の三分の一は研一生という状況。食糧や物資は不足し、木材や衣料は統制されていたため、大道具や衣装は在庫をリフォームして使うしかありませんでした。この時期に、華やかなレビューを上演するというのは並大抵の苦労ではなかったことでしょう。
しかし、たとえつかの間でも日常を忘れさせ、夢を見させるという宝塚歌劇の本質は、この混沌たる時代にこそ価値があったはずです。

舞台挨拶で春日野八千代が述べました。「天国にいる方々に約束します。永久に、清く正しく美しい宝塚の再建に尽くすことを」。
その言葉通り再興した宝塚歌劇団は、2014年4月1日、100年の歴史を刻みました。

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