湯島の切通しを下って不忍池
せっかくなので、「ねぎまの殿様」とは関係ないけれど、湯島天神で梅の花などを観賞した。境内は多くの参拝客でごった返している。 春日通りに戻ろう。古今亭今輔は「あれから、湯島の切通しですな。昔はもっと急だそうでございまして、つづれ折り申しますから、こうジグザグにおりまして~」と言う。今、湯島の切通しはまっすぐな坂になっている。この坂は湯島の台地を切り崩してできた坂なので「切通坂」と呼ばれているのだそうだ。かつては急なジグザグ坂だったそうだが、1904年(明治37年)に本郷三丁目から上野広小路との間に電車が開通して、まっすぐのゆるやかな坂になった。この先にあったのが「池之端仲町」で、この町を貫くのが仲町通りで向島へ行く本街道なのだそうだ。
そして、このあたりが上野広小路。上野以外にも浅草や両国に広小路があるけれど、これは将軍家の所有の原っぱだったそうで、もともとは火除け地だったそうだ。しかし、原っぱにしておくのはもったいないということで、今でいえばバラックのような簡単な造りの店が並んでいたそう。そこで、お殿様がねぎま鍋を食べるのだ。