2月13日に引退を発表した佐々木健介
「負けてなるか!」の反骨心でトップレスラーに
2月13日、佐々木健介が引退発表しました。11日の後楽園ホールで弟子の中嶋勝彦に敗れた健介は、試合後に「勝彦……お前、強くなったなあ。俺は28年間やってきたけど、こんなに気持ちいい負けはないって感じているよ。俺はもう思い残すことはないよ」と中嶋に語りかけ、「28年間、佐々木健介を応援していただいて、ありがとうございました」と客席に頭を下げました。それから2日後の発表でした。プロレスをよく知らない人にとって健介は「見た目はいかついプロレスラーだけど、鬼嫁・北斗晶にタジタジの優しい夫」というイメージが強いでしょう。そこで引退に際し、改めて佐々木健介のプロレスラー像に迫ります。
健介がプロレスの門をくぐったのは高校卒業後の1985年6月21日。博多から上京して長州力が社長兼エースを務めていた新興団体ジャパン・プロレスの練習生第1号となり、翌86年2月16日にデビューしました。負け続けの健介はハングリー精神の塊で、「負けてたまるか!」と反骨心を剥き出しにして頑張る若者でした。ジャパン・プロ時代にはロサンゼルス五輪レスリング代表の肩書を引っ提げて2カ月遅れでエース候補として入団してきた5歳年上の後輩・馳浩にライバル意識を燃やし、87年6月に新日本プロレスに戦場を移すと「俺はジャパン・プロとして新日本に乗り込んできたんだ!」と新日本の若手選手とバチバチやり合いました。
プロレスラーとしては身長が低い健介は、誰にも負けないトレーニング量によって頑丈で分厚い体を作ることで頭角を現し、闘魂三銃士と呼ばれた武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也に「負けてたまるか!」とライバル意識を燃やすことでトップレスラーにのし上がりました。それだけに、かつての健介は「プロレスラーなんだから、こうじゃなきゃいけないんだ!」「プロレスラーは強さがすべてなんだ!」という昔気質の頑固なプロレスラーでした。当時の健介だったらテレビのバラエティ番組には出演しないでしょうし、出演したにしても「俺はプロレスラーだ!」というコワモテの部分を全面に出して、今のように笑顔を見せることはなかったと思います。