住みたい街 首都圏/住みたい街の見つけ方

多摩田園都市60周年。過去と未来を考える

首都圏有数の人気沿線東急田園都市線沿線、梶が谷から中央林間にかけて広がる多摩田園都市エリアは2013年に発案から60周年を迎えた。今の人気に繋がる開発の歴史から将来構想までを見てみよう。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

農地と山林ばかりの土地が
60年で首都圏有数の人気エリアに

シンポジウム

2014年1月に開かれた多摩田園都市線60周年のシンポジウム。様々な観点からこのエリアの過去、未来が語られた。この記事はそのシンポジウムその他を参考にしている(クリックで拡大)

現在の東急電鉄の元となる会社は田園調布、洗足などを開発した渋沢栄一率いる田園都市会社。その後、何回かの合併、戦後の分割などを経て現在の東急電鉄となるわけだが、戦後の停滞から抜け出すべく、当時の東急電鉄を率いていた五島慶太によって打ち出されたのが、農地と山林が大半だった多摩田園都市エリアの開発だった。1951年当時、このエリアの人口は1万5000人ほど。主な交通機関は未舗装の厚木大山街道(現在の国道246号)を走るバスだけという状況で、都心から近いにも関わらず、未開発のままだったという。

 

そして、実際の開発の発端となったのは1953年に五島慶太がこのエリアの土地所有者を招いて説明した「城西南地域開発趣意書」。この時点での計画エリアは溝の口から長津田で、後に中央林間まで延伸される。また、当初は鉄道よりも安価に建設できる高速道路の敷設が検討されていた。実際には日本道路公団(当時)が計画していた第三京浜道路とルートが重なることや、地元からの熱望によって東急田園都市線が建設されることになるわけだが、これが高速道路だったら、現在のように田園都市は人気の街になっていただろうか。歴史はおもしろいものである。

その3年後、その趣意書に基づいた土地利用構想案が発表されるが、この時点での計画された人口は33万1000人。7万人程度の新都市を4カ所建設し、これが連続しないように緑地で囲むというようなものだったという。

ちなみに現在のこのエリアの人口は1980年代半ばに40万人、2013年時点で60万人を超えている。今後、人口増はこれまで以上に緩やかになるとは思われるが、それでも他のエリアのような極端な変化はないだろうと思う。

時代の変化に合わせた計画変更が
人気の秘密?

日当たりの良い住宅

坂が多い分、日当たり、眺望に恵まれた住宅が多いのがこのエリアの特徴

以降、開発が延々と続けられてきたわけだが、特徴的なことのひとつは、この60年間の開発がすべて民間の手によって、しかも、時代の変化に柔軟に対応しながら続いてきたということ。1951年から1953年の時点ですでに高速道路の計画は鉄道敷設に変わっており、その後、1973年にはアミ二ティプラン多摩田園都市なる計画では、売却利益を追求する開発から、環境を整備して付加価値をつけた街作りへというという方向転換がなされている。続く開発開始から30年後の多摩田園都市21プランでは住環境を守ることを前提としながらも、住宅だけではない、多機能型都市を目指すことが謳われている。

 

当初決めたプランに固執、時代に合わせた転換ができないお役所仕事に比べると、ここでは社会の変化が常に意識され、取り込まれている。そのあたりの柔軟さ、現実的なやり方が現在も人気を集め続けている理由のひとつなのかもしれない。

ちなみにこの後も1991年には多摩田園都市二次開発、そして、2013年には横浜市と協働しての次世代郊外まちづくりプロジェクトなどが発表されており、変化は続いている。後者については、将来構想でもあり、最後に紹介したい。

一括代行方式で開発を加速、
4ブロック、58地区で街づくりが

学校

教育熱心な家庭が多く、私立進学率が高いのもこのエリアならでは。都心、横浜への足回りが良いことも大きい

もうひとつ、このエリアの開発の特徴として欠かせないのが一括代行方式。一般に土地区画整理事業は地権者が集まって組合を作り、銀行などから融資を受け、行政と調整を図るなどの作業を行って進めていく。ただ、この場合、地権者の大半はこうした業務に不慣れであることが多く、専門家と協働するにしても時間、手間がかかる。ところが、東急電鉄は地権者による組合が生み出した保留地を全て一括取得することを条件に事業資金を提供、組合の業務のすべてを代行するという方法を取った。これが一括代行方式で、この後、他エリアでも土地区画整理事業の一般的な手法のひとつとなっている。

 

この方式を取ることで、開発が加速したのは当然のこと。多摩田園都市エリアは梶が谷から鷺沼までの第一ブロック、たまプラーザ、あざみ野を中心とする第二ブロック、藤が丘、青葉台を中心とする第三ブロック、以遠中央林間までの第四ブロック、58地区からなるが、1970年代から1980年代には一度に数十カ所で整備が行われるなど、そのスピードには驚かされる。

また、民間一社が手がけることで、行政区分を超えた整備を可能にもしている。特に幹線道路、歩行者専用道路などの敷設が連続的に行えた点は住みやすい街づくりに繋がるポイントとして大きい。

続いて住む場所としての特徴について見ていこう。
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